きのう、息子が6歳の誕生日を迎えた。
6年前の2月に家を買い、4月にいまの街に引っ越してきた。
そう・・・、
余震や停電もある311の震災の混乱の
真っ最中に、引っ越しをした。
4月にはもう出産する病院を
決めなければいけない。
妻と相談をして、
親戚のいる京都で出産することを決めた。
息子の出生届は、実家があるわけでもない
京都の、伏見区役所に出した。
あれからもう6回目の夏を迎えるとは、
にわかに信じられない。
・・・
息子は純粋無垢で、本当に子供らしい子供だと思う。
喜怒哀楽の表現が豊かで、
やりたいことはやりたい。
楽しいことは楽しい。
美味しいものはおいしいと、
ストレートに感情表現をしてくる。
その素直さに、いつも魅了されている。
・・・
その息子が、きのう
保育県から帰宅するや否や
私がいる書斎にドタドタと駆け込んできた。
集中して仕事をしていた最中だったので、
土足で入り込まれたようで少しがっかりしたが、
そのがっかり感も、あまりにも
嬉しそうな息子の笑顔で相殺された。
「書いたよ♪書いたよぉ~~ん♪」
手に持った一枚の、折り紙を差し出してきた。
「はじめてねぇ。字書いたんだよぉぉ~」
折り紙にはグニャグニャ曲がって
こう書いてあった。
「み・た・い・の・よ」
・・・?
「見たいのよ?」
まったく意味が分からない。
私「ここ、なんて書いたの?」
息子「みたいのよ(笑)、あははははぁ~(笑)」
そして
「みたいのよ♪みたいのよ♪」
歌いだした。
・・・
文章から言葉の意味を
理解することはできなかった。
でも、理解できたことがいくつかある。
まず、
息子が初めて、読める文字を書けたという事実。
そして、
わざわざ見せに来た息子が、
字を書いたとを成長の証しであるのように喜び、
自慢に思っていること。
そして、
自分の意思で字をかけた息子の姿を見て、
それを見ている私の心が、喜びと
6年間の子育て生活に哀愁を感じたということ。
「息子が字を書けた」も事実。
「折り紙にみたいのよ」と書いている、これも事実。
「息子がそのことについて、自慢げに喜んでいる」のも事実。
「私が、みたいのよの意味が理解できなかった」のも事実。
「私が、立派に成長した息子の姿に感動した」のも事実。
「同時に、6年前からの苦労を思い出し、哀愁を感じた」のも事実。
世の中には、事実は一つじゃない。
様々な広さと深さの種類が事実にはある。
・・・
話を聞くということは、
さまざまある事柄としての事実と
その事柄に対する思いの事実、
そして自分にとっての事実、
相手にとっての事実などを
丁寧にたくさん聴いていくということ。
たった1個や2個の事実を聴いただけで、
わかったつもりになってはもったいない。
「他にもまだ何か事実があるはずだ」
と、聴けていないはずと
自分をいつも疑って聴くことで
より広く、より深く相手(そして自分)を
理解して分かりあうことができる。
【この言葉を自分に言ってみよう!】
「いろいろな事実を聴こう!」
それが「ありのままを認める」ということです。
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