ほめるな危険

地下鉄東西線、飯田橋の階段をのぼっていた。

平日の10時なのに、前から親子連れの声がした。

近づくと、お父さんと4歳くらいの子どもだった。

幼稚園(保育園)行かないのか?と

余計な心配が頭をよぎった。

目の前を歩く、お父さんが子供に語りはじめた。

父「リュウちゃんいい子だね。」

子「・・・」

父「リュウちゃん、すごいいい子だってお父さん知っているよ。」

子「・・・」

そこまで聞いて、

私の心の耳が反応した。

「いい子だね・・・絶対俺は使わない言葉だ」

と。

お父さんは続けた

父「リュウちゃんは、いい子だよ。」

子「・・・」

父「いい子だから、嘘つかないもん。」

子「・・・」

そして最後に言った

父「何悪いことしたの?お母さん怒ってたよ。教えて!!!」

いい子、いい子と言っていたのは

そこが本命だとわかった。

お父さんには、ほめながら

聞き出したい情報があったのだった。

そのやりとりを見ながら思った。

「ほめるとは、恐怖を与えることなんだ」

と。

・・・

よく、

「結果をほめずに、行動をほめよう」

という。

「いい子だね」も、もう出来上がった

子供の姿をほめるのだから、

やはり結果をほめている。

結果をほめれば、恐怖を与える。

そもそも「何をしたか」行為を問いかけてた時点で、

その行為の善悪を判断しようとしているのくらい

子供心にもわかるだろう。

お父さんもきっと、

子供のことを傷つけたくはないし

お母さんのこともわかってあげたいし

板挟みの中の苦肉の策だったに違いない。

そう思うと気の毒だ。

・・・

こんな風に、事情がよく分からないと

人とコミュニケーションをとれない人は

気の毒だと思う。

事情の理解から入らないといけない人は、

困ったら、相手を傷つけないように

(あるいは気に入られるように)

よいしょせずにはいられない。

でも、事情を理解さいなくても、

人と関わる方法はある。

お母さんにはお母さんの気持ちがあり

子供には子供の気持ちがあるのだから、

事情ではなく、気持ちから関わるようにすればいい。

そうすれば、

無理にほめる言葉は必要なくなる。

ちょっと残念に思った。

でも実際には、

気持ちから関われる人はまだまだ少ない。

むやみにほめることで、

大切な人との関係を、余計悪くする人が

これ以上増えないようにと、心の中で願った。

そして改めて決意した。

もっと、気持ちを聴ける人を増やそう!

と・・・。

【この言葉を自分に言ってみよう!】

「ほめるな、危険」

いい学びをくれた親子に、感謝した。

<お知らせ>

ほめて事情を吐露させて

善悪の判断するのとは真逆のコミュニケーション。

気持ちを聴き、気持ちを理解し、

気持ちを支える方法に興味がある人は

東京、大阪で開催の傾聴1日講座にお越しください。
 ↓
http://bit.ly/2k1gHKi

 

logo1

自分の心の声を聴き、人の心を聴く
・ 傾聴1日講座(基礎) /毎月開催中

脳と心を鍛える無料メール講座
・ 傾聴のつぼ入門編
・ 記憶のつぼ入門編

岩松正史のアクティブ・ブレイン関係のセミナー
・ 初心者のための記憶術
・ アクティブ・ダイエット
・ アウトプット読書法
・ 夢実現講座

著書「聴く力の強化書」 /2刷 自由国民社

メルマガ「毎日2分!傾聴三昧」

PAGE TOP