電車で席に座っていたら、
目の前に20代の若者二人が立っって
片方が話し始めた。
若者「これだけ責任負って、なんで?リターンがないってなに?ボランティアだよこっちは」
若者は不満だった。
その言葉を聴きながら思った。
「だったら、やめればいい」
と。
私には、
「ボランティアでやっているのに」
というセリフの中の
「のに」
の部分が特に、耳につく。
耳につくのにはわけがある。
実は以前にも、似たセリフを聴いて
がっかりした経験がある。
何年も前にある場所で、
傾聴ボランティア育成のお手伝いをしていた時、
そこに参加されていた方がこういった。
「私たち、お金をもらっているわけでもない『のに』、そこまで責任はもてない」
と。
それを言葉通りとらえるなら、
「お金をもらっていたら責任があり、お金をもらわなければ責任は負わなくてよい」
ということだと理解した。
だとすると、ボランティアというのは
無責任な人の集まりになってしまう。
それは、おかしいと思った。
有料でも無料でも、責任の重さは同じだろうと。
「ボランティア=ただ」
「ただ=責任がない」
目の前に立っている若者の発言から、
そういう危うい意識は、世代を越えて
常識になっていると再確認した。
日本は高齢化が進み、ますます
社会は無償や安価で活動できる
ボランティアの必要性が高まっている。
そのことがもし、
社会に無責任が人たちが
増えていくことを意味するなら、
悲しすぎると思った。
【この言葉を自分に言ってみよう!】
「責任の重さはお金で決まるのではなく、自分で決めよう」
そしてもう一つ。
人の心は目で見ることはできない。
でも、気持ちは言葉によく表れることも再確認できた。
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