唯一、朝食を食べる5歳の息子の
朝食の準備しようとしていた。
でも、その日に限り、
めぼしい食材が見当たらない。
よく食べていたヨーグルトも、
コーンフレークも、コーンスープも
暑い季節になったからか、
最近、さっぱり人気がない。
冷蔵庫を再度見直したけれど、
やはり食べられそうなものはない。
どうしようと思いながら、
普段は開けない、冷凍庫を開けてみたら・・・
以前、お弁当に入れて中途半端に
残っていた冷凍食品たちを発見した。
ハンバーグ・・・、
カニクリームコロッケ・・・、
からあげ・・・、
和惣菜・・・、
ミニグラタン・・・。
朝食向きかどうかわからないけれど、もうこれしかない。
息子に「お伺い」を立ててみることにした。
「ハンバークとか、カニクリームコロッケしかないんだけれど・・・」
そういいかけて、やめた。
これでは、冷凍食品たちに申し訳ない。
それに同じ食べ物なら、おいしそうに伝わるほうがいい。
そこで、こんな風に楽しく伝えることにした。
ダイニングテーブルの上に中途半端に残った、
冷凍食品たちの袋を全部並べ、元気にこういった。
「さあ!今日は冷凍食品パーティーだぁ!君は、どれを食べたい???」
ちょっと大げさな、どこかのドラマのようだった。
すると息子は、そんな私の不自然さにはまったく触れず、
キョロキョロと冷凍食品たちを眺めて、
指をさして元気にこう答えた。
「これ(ハンバーグ)と・・・、これ(カニクリームコロッケ)・・・!」
積極的な息子に救われた気分がした。
・・・
現実が貧祖か?満たされているか?
それは、主観でしかない。
人と比べたり、過去と比べれば、
満たされていない物を探すのはたやすい。
でも、人は、満たされているものがあっても、
満たされているとは、なかなか感じない。
満たされているときは、当たり前と思い見過ごす。
すると、
満たされない物を探すのが、得意な思考の持ち主は
何を与えても、何を手に入れても、
どんな素晴らしい偶然が起きても、
冷めた顔をして、その価値を認めようとしない。
だから感謝もでてこないし、
満たされた感情も味わうことができない。
でも、実際は、満たされるのを
拒否しているのは自分の方なのに・・・。
そして、また
「誰も私を満たしてくれない」、
「何もいいことはない」
と、もっともっと病の泥沼にはまっていってしまう。
踏まを言うなと言いたいのではない。
人間だから、不満もあっていい。
でも、不満に見えるその状況の中にも、
必ず満たされている「別の何か」がある。
不満と同じくらい存在している。
その満たされている「別の何か」がある事実も、
不満と合わせて、両方を認めることをして、
はじめて公平といえる。
不公平なままにしておいて、
苦しんでいるのは自分だけしかない。
不満を吐露したあとからでもいい。
何に満たされているのかも、
一緒に振り返りをしてみよう。
必ず、感謝できる何かがある。
【この言葉を自分に言ってみよう!】
「自分を満たす責任は、自分で果たす」
人は自分だけが、苦労していると思いがち。
でも、あなたが苦労しているのと同じくらい、
他の人もその人なり苦労を抱えています。
では、幸せな人と不幸な人の違いが何かというと、
ちがうのは、
満たされていない物の量や数ではなく、
同じ満たされていない状況の中で
何に満たされているか知っている人は幸せで、
満たされていない物に意識を奪われると不幸になるというだけのこと
あなたはいま、何に満たされてないですか?
そして、
あなたはいま、何に満たされているでしょうか?
・・・
息子の満足そうな笑顔から、
足りなくても幸せを感じられた私は、
翌日、買い出しに行くことを決めたのでした。
足りないからといって、
不幸になるわけではないですね。
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