幸せというのは、自分がそう思えばあるし、
思わなければ絶対にない。
そう思いたくなる出来事があった。
大学時代、一番仲が良かった友人は、
私の半年あとに卒業した(要するに留年)。
その後、秋に卒業して、東京の企業に就職をした。
そのころ私は、社会人一年目で、
コンビニの現場でしごかれて、
友人と会う間もなかった。
ほどなく私は栃木県に転勤となり、
6年ほど栃木で働いた。
転職し、結婚し、失業もして、
再々就職をして子供も生まれた。
友人とは、会おうという余裕もなかった。
その友人が、今年の春、
彼もまた2度目の転職、結婚もして、
自宅から10分の所に引っ越してきた。
寮に入れたのだという。
以来、彼の奥さんが近くの実家に
帰省しているときなどに、
いっしょに夕飯をよく食べるようになった。
腐れ縁とは言うけれど、本当に腐れ縁。
大学時代、一番仲が良かった友人と
23年たったいまも、こうして
バカ話をしながら飯を食べられるのは、
不思議でもあり、実にありがたい。
・・・
つい先日、その友人が「急に休みがとれた」そうで、
ランチを一緒にすることになった。
せっかくなので、私の買い替えたばかりの車で
ドライブがてら、横浜の港方面に車を走らせた。
ところが、
めったに来ない地域。
どの店にい行く当てもない。
ほどなく、さまよい始めた。
仕方ないので最後、目についた
普通のファミレスに「入ろう」と言ったら、
友人もOKしたので、駐車場にハンドルを切った。
店に入り、席を案内された。
席に座る瞬間、なんとなく横の席に目をやった。
すると、そこに何度か見たことがある
明るい洋服を着た年上の男性がいた。
まさか、と思って顔を見たら、
7年前、産業カウンセラー養成講座を
一緒に受講した同期の人生の先輩だった。
お互い「おおっ!」と驚いた。
・偶然、友人が休みがとれた。
・偶然、やけくそでファミレスに入った。
・偶然、案内された席がすぐ横だった。
この3つの偶然が重ならなければ、
同じファミレスにいたとしても、
気づかずに帰っていたに違いない。
最近、近くに住み始めた大学時代の旧友にも、
たまたま立ち寄ったファミレスにいた
同期の男性にも、運命を感じずにはいられなかった。
・・・
でも、冷静に考えてみたらどうだろう?
これは本当に運命なのだろうか?
ただの偶然と言えば、ただの偶然。
でも人は、何かと出来事同士を
結びつけて考えたがる、クセがある。
関係ない出来事同士を結びつけることで
そこに「意味」を見出そうとする。
つまり人は、
無理やりでもいいから、
何かと何かを結び付けて、
そこに意味を感じたくて仕方がない生き物なのだ。
でも、世界中の万人に共通した
ひとつの「意味」などあるはずもない。
「意味」はいつも自分の中で勝手に見出す。
意味はあると思えばあるし、ないと思えばない。
だとすると、
「幸せな人」
というのは
「意味づけが上手な人」
と言えなくはないだろか。
より多くの出来事に、
よい意味づけができた人が幸せな人で、
より多くの出来事に、
悪い意味付けができた人が不幸になれる。
つまり、
幸せかどうかは、
自分がどう意味づけするかで決まる。
・・・
話は変わるが、
昔からの知人に、私と同年代で、
若くして、ある難病を患った女性がいる。
思うように体が動かない。
元気な時を知っているし、
子どもも知り合いなので
なおさら心が痛む。
以前、その女性が住む町に一度だけ
会いに行った。
すると彼女は、街中の居酒屋まで
杖を突きながら歩いてきた。
病気の進行は早かったけれど、
彼女は「いまが一番幸せ」といった。
なんと、ご主人とも離婚をしていた。
でも、ご主人にはある問題がずっとあり
「この病気のおかげで、やっと別れることができた」
とホッとしていた。
実は、彼女のお母さんと、妹さんも
最近、同時に別の病魔に襲われたそうだ。
家族全員が命の危機にあった。
それでも、彼女は
「すべてのしがらみが取れた今が一番幸せだ」
といった。
きっとやせ我慢ではないかと
勘ぐってはじめのうちは、黙って聞いていた。
でも聴けば聴くほど、やせ我慢ではなく
本心であることがよくわかった。
病魔におかされていく彼女は、
確かに人生で一番幸せな時を過ごしていた。
そんなことも思い出しながら、
やっぱり幸せな人というのは、
いい意味づけが出来る人なのだと思う。
・・・
あなたは、自分の人生に
いい意味づけをするのが得意ですか?
苦手でもいいので、今日何か一つ、
私と一緒にいい意味づけを試してみませんか?
【この言葉を自分に言ってみよう!】
「幸せは意味付けの仕方によって決まる」
どうせ、これが正しい意味付けなんて言う正解はない。
だったら、自分の都合がいいように
意味づけしたもん勝ちにちがいない。
<お知らせ>
その人にとっての意味づけを聴くことは、
その人の幸せと不幸の度合いを聴くことと同じ。
意味を聴き、気持ちを聴く傾聴1日講座を
9月23日飯田橋でやります。
↓
http://bit.ly/2qvtDuo