いつもありがとうございます。
大昔、大混雑した渋谷のスクランブル交差点をわたっているとき、
すれ違った女子学生から「中村君?」と、間違われました。
見かけは凡人でも、中身は特別を目指したい、岩松正史です。
物事できるようになるには2つの方法がある。
1つは、できないことを
努力してできるようになると言う方法。
もう一つは、
自然の法則に従って
できやすい状況作っていくと言う方法。
両者は完全に独立したものではなく、
お互いが絡み合って存在することができる。
7年前から始めた「記憶術」と言いう言葉は、
まるで魔術を連想させる怪しい響きをもつ。
でも、結局のところ、
記憶術言うものが今の話でいうと主に後者でしかない。
人間には記憶をしやすくなる状況というのが存在して、
できるだけその自然の法則に沿う状況を
意図的に作りやすくしているに過ぎない。
しかし、
状況を作ると一言でいっても
誰か任せにしてできることではない。
お金を出せばすぐ手に入ると言うものでもない。
状況づくりにも、一定の、何かしらの努力は必要となる。
でも、一人で無理くり覚えようとする努力に比べて、
理にかなった努力は方向性が明確で、
量も時間も数分の一で済む、
そういう努力だからいい。
それで十分ありがたいのではないだろうか。
・・・
しかし、
本来、効率的にできる努力は
それだけで、ありがたいはずのことにも関わらず、
成長したいと言いながら、
そのありがたい努力を嫌がる人がいる。
努力しないで、成長しようとする人。
つまり自分は努力なし(あるいはほぼゼロ)に
何でもできてしまう天才であろうとする。
確かに、世の中には努力せず
何でもできてしまう人というのがいるように見える。
でも、考えてみると
努力をしないでできてしまう人と言うのは、
天才ともいるし、知らないはずのことが
できてしまう不思議な現象を
引き起こしてしまうという意味でとらえると
変態ともいえる。
どちらにしても、
成長したいといいながら、
「努力をしてできるようになる程度の秀才ではダメだ」
と自分を天才たらしめんとする人がいる。
要するに努力するのがイヤなだけ。
特殊能力を身に着けたと勘違いをする、
妄想の世界の住人。
・・・
結局、「挫折」とは何か考えてみると、
自分に対する努力を放棄すること。
でも、
「私は自分を放棄しました」
と言うと格好悪いので、
ちょっと自己卑下もしてみせるけれど、
「これは私には合いませんでした」
「この事柄が難しいですね」
と大部分を事柄のせいにして、逃げてしまう。
私もどちらかというとその口だ。
そんな人と(そして自分に)言いたい。
「安心したらいい。あなたは初めから、そしてこれからも天才ではない」
と。
努力してできるようになるなら、
それで十分価値がある人間だと。
【この言葉を自分に言ってみよう!】
「自分に天才を課すのはやめよう」
これは私に合わなかった
この事柄はちょっと難しすぎた
と言って
前向きなふりをして、
自分を否定するのをやめましょう。
安心してください。
あなたも私も、
優秀な凡人です。
優秀な凡人だからこそ、
凡人が成長しやすい自然の法則に沿って、
努力すれば、必ず成長できます。
でも、無理な課題を課しているうちは
成長はできません。
人は、自分を否定しながら
成長することはできないのです。
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