なぜホメてはいけないのか?


会話している最中に、「褒(ほ)めてはいけないんですか?」とよく訊かれます。

べつに傾聴しないなら褒めてもいいと思いますが、傾聴しているときは褒めません。

なぜなら、褒めることは傾聴の目的にあわないから。

そして、褒めることによる弊害があるからです。

誰だって褒めて欲しいことについて、褒められたらうれしいですよね。

自分的には、欲しいなんて思ってない些細なことでも、褒められたらうれしいこともあります。

ならば褒めてあげればいいじゃないかというと、そうはいきません。

「よい時がある」から「すべてそれでよい」にはなりません。

では、褒める弊害とは何でしょうか?

一つ大きいのは、「褒められるということは、けなされる可能性を同時にもたらす」ことです。

人は褒められるとうれしいと感じながら、同時に、褒められないことへの恐怖を抱えます。

・いつでも褒められるように行動しなければいけない
・褒められる結果を残さなければ

と思い、それはつまり、

・結果が悪ければ、けなされるのではないか?
・価値がないと思われるのではないか?
・愛してもらえなくなるのではないか?

という恐怖が喜びと表裏一体で生じます。

いったん褒められてしまうと「褒められるか?褒められないか?」というゲームに巻き込まれてしまうのです。

親子関係が一番わかりやすいですが、試験の点数がよかったことをほめられるとどうなるでしょうか?

「いい点数だったね!」と親が伝えることは子供に
「次もいい点数を取りなさい」というメッセージが暗に伝わります。

伝えた親の方にはそんなつもりはないといっても無駄で、一度褒めてしまった以上、
もうそのゲームは取り消しができません。

子供の褒められて嬉しいという感情は、親から「好かれたい」「嫌われたくない」という動機を生み、
本来自分のために頑張れがよかっただけのことが、愛をもらうための「手段」になってしまいます。

自分のために頑張った結果、親も喜ぶならよいでしょうが、
親を喜ばすために、頑張らなければと感じてしまうのです。

これでは外から喜びを得るため、あるいは外からの恐怖を防ぐためという動機に変わってしまいます。

これでは依存です。

褒めることは依存関係を生み出す可能性があるというリスクがあります。

(逆を言えば、親が子供をほめるのは依存させたいからかもしれません)

傾聴をはじめとする人間性心理学では、

・人は自己成長力を持っている
・問題を解決するのは本人

を目的とするため、褒めること自体がいいか悪いかは知らないけれど、
少なくとも傾聴するなら褒めないということになります。

・・・

褒めることで意欲が上がりつづける人もいるのですけれども、
褒められてしまったことでプレッシャーを感じ、頑張れなくなってしまう人もいるでてきます。

「よい時があるから、すべてそれでよい」とはならない理由はそういうことです。

本当は、話して自信が褒めて欲しいことを褒める分には構いません。

でも多くのトレーニングを積んでいない聴き手は、聴き手自身が「すごい」と思ったらすぐホメてしまいます。

あるいは本当は大したことでないと思っていても、褒めて気分を良くさせようと、操作的に太鼓持ちをしたりします。

あるいは自己肯定感の低さがゆえに、自分を下げて他者を褒めることでしか自分を表現できない人もいます。

これでは傾聴の目的である「そばにいる」「そのまま理解する」「寄り添う」という目的と違ってしまいます。

・・・

聴き手自身の自尊心の低さがゆえに褒めてしまうケースは今回は別として、
依存させない、恐怖を与えない褒め方のコツがあります。

まず

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本人がどう思っているのか?確認してから褒める
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Aさん「どうにか第二希望の大学に合格したんです」

といわれたときに「合格=いいことだ」というフィルターが聴き手の中にすぐに動いてしまい
「第二希望でも、合格したらすごいことですよ!」と褒めてしまう人がいます。

これでは相手に

「無理やりでもプラスにとらえなさい」
「私の前で悲しい顔をするな。笑顔を見せてよ」

という裏のメッセージが伝わります。

たとえば、確認をとるとは、質問しなくてもくり返しでもいいので、

「そう・・・どうにか・・・という感じなんですね」

と相手の発言をおだやかり、でもしっかり受け止めながら鏡に映しだし明確にするるだけでも、
思いを続けて話してくれて、相手の気持ちが明らかになるかもしれません。

もしそこに質問を加えるなら、

「その合格は(あなたにとって)どうなんですか?」

と、意味と価値(=気持ち)を尋ねてみてもいいでしょう。

本人はどう受け止めているのか?が確認することが重要です。

こうすることにより聴き手のフィルター(内部的照合枠)による、個人的な価値観の押し付けが防げます。

結果本人が「すごくうれしいです!」と言語化してくれたら、はじめて
「それはよかったですね!」と褒める・・・というか認めてあげればいいでしょう。

でも、もしかしたら

「いや・・・第一希望にどうしても行きたかったので、行くかどうか迷っています」

といわれたら、勝手に想像していた「うれしい話だろう」という想定から舵を180度切って、

「そう・・・。第一希望にいきたかったから、迷っていらっしゃるんですね」

と、相手の気持ちに寄り添うチャンスになります。

聴き手自身のフィルターの自動反応で先に「よかったですね」と尚早にホメてしまうと
もう舵を切りなおすことはできません。

これでは寄り添うことも、支えることも、理解を示すこともできなくなってしまいます。

まとめると、

・褒めことは喜びと同時に、褒められないことへの恐怖を相手の潜在意識に与える
・聴き手のフィルターでホメてしまうと、相手に寄り添えなくなることがある

褒めたら相手が喜ぶことがあります。

でもそもそも傾聴の目的は、相手を喜ばすことではありません。

喜べるときも、喜べないときも、相手を孤独にさせないようそばにいてしっかり寄りそい、
支え、気持ちを理解するために使いたいのが傾聴です。

いま目の前の人が発信している感情を、そのまま理解し、受け止めたいというのが傾聴。

褒めて喜ばせたいなら、わざわざ傾聴を名乗る必要はありません。

聴き手であるあなた自身が何をしたいか?で、それを実現する手段が変わります。

「何のために?」

という目的が大事です。

かくいう私は、相手が自分の中から喜びがわいてきてくれたらいいなといつも「願い」はしてますけれど
私自身が「喜ばそう」とは思いません。

そんな力はありません(過去と他人は変えられない)。

ただ、ただ、寄り添って、相手の気持ちを受け止めた結果、
相手の心に自然と喜びが湧き上がってきたら
「よかったですね!」と、あたたかい他人ごととして喜びを共有出来たら、
それでいいと思っています。

本人がよかったと表明したときに「よかったですね!」は共感。

「すごいですよ!」は評価的態度で同感。

両方を自由に使いこなせると、コミュニケーションの幅が広がります。

褒めることは相手の中の気づきや、意味づけを抑制していしまう可能性をもたらします。

褒めるリスクも知っておきましょう。

そして、褒めたくなる自分の心理は何か?その気持ちも見つめてみましょう。

自分の気持ちがわからないと、人の気持ちはなおさらわからないですね。

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