もしかしたら、「なんとなく」という感覚こそ、人が持つ最も正確な感情なのかもしれない。
朝7時、トイレの前を通った瞬間、
子ども部屋から出てきた7歳の息子と
はちあわせした。
目の前にあるトイレの扉に入ろうとしたので
「どうぞ」とゆずった。
しかし息子は、そこで一言
「やっぱりいいや」
といって、引き返していってしまった。
「そんなことはあり得るか???」
私の頭は混乱した。
なぜ息子はトイレに向かったのだろう?
きっとそれは、用を足したくなったから。
でもトイレの目の前で引き返してしまった。
足したくなった用はどこに行ってしまったのだろうか?
(一瞬で蒸発したか???(笑))
はた目には、まったく理由がわからないし、
本人もたぶんわからない。
「なんとなく」行きたいと思ったから向かい、
「なんとなく」行きたくないと思ったから引き返した。
・・・
人生には、いちいち理由はない。
まず「なんとなく」が先にあって、
理由は、あとから考えてつけているだけ。
(=合理化)
理由はなくても、欲求は生まれる。
だから、いく理由を分かっても
その人の全体はわからない。
人は99%以上は、理由以外で
出来上がっている。
だから、なんとなくは、
なんとなくのまま、
そのまま受け取るのがいい。
そう理解することが、
相手を全体で理解することで、
人の気持ちをわかるということ。
・・・
考えてみると、私の人生のほとんど全部が
明確な科学的理由などなく、
なんとなくで成り立ってきたような気がする。
あなたの人生はどうでしょうか?
これをお読みいただいているあなたの人生は、
明確な理由で出来上がっていますか?
人生のほとんどは、
「それを気にしてもいいし、気にしなくてもいい。」
でもなんとなく気になるからやった。
と、いう具合に「なんとなく」で
出来上がっていないでしょうか。
ならば、
「なんとなく」は「なんとなく」
と理解することこそ
その人を本当に理解することです。
「なんとなく」が正解。
そういうことはたくさんあります。
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明確な気持ちは明確に、
なんとなくはなんとなくで、
そのまま相手を理解できる聴き方は、
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