他人に対して本当の傾聴ができる」
「どうしても他人にだけ傾聴したい」
他人にしてあげられるのか?」
他人にしたくなるのか?」
後者を「投射(投影)」といいます。
投射とは、
「問題を抱えているのは、私ではなく相手だ」
と問題の本質を自分の外におこうとすること。
たとえば引きこもりの子がいて、
その子を自分らしく生きられるよう
自立させてあげたいとお母さんがいたとします。
そのとき子供は勿論、自分らしく生きられていない状態です。
でも、お母さんも子供のことへの心配があり、
自分らしく生きられていない状態です。
問題の本質は、
”自分らしく生きられていない二人がいる”
このときにもしお母さんが
「私のことはあとでいいのです。
どうか息子を先に元気にしてあげたいんです。」
と言ったとしたら、これは投射です。
なぜなら、自分らしく生きられていない二人がいるときに、
息子は自分らしく生きるとはどうすればいいかわからず困っていることでしょう。
では、お母さんは?
お母さんも息子のことなどもあり、
自分らしき生きられず困っているはずです。
つまり、
この例でお母さんは
自分にできないことを息子に先にやらせようとしている
ことになります。
恐らく問題を抱えているのはお母さんだけではないでしょう。
お父さんも、兄弟がいれば兄弟もみんなが抱えています。
・・・
家族療法にはIP(Identified Patient)という考え方があります。
例えば前例のように、引きこもりの子がいたときに、
多くの場合、家族はこのように訴えます。
「この子が問題だから、
この子を治してほしい」
IPではこのとき、
問題を抱えたグループ(家族)が一つあり、
引きこもりという形で表れているのがA君。
という見方をします。
お父さん、お母さん、兄弟、あるいは周辺の人も含めて、
それぞれの人が引きこもりではないかもしれないけれど、
別の問題を抱えている、と見ます。
もしかしたらお父さんは、
子供とどう関わっていいかわからないという
コミュニケーションの問題を抱えているかも知れない。
お母さんは、
夫と相談し合える関係がないという
問題を抱えているかもしれない。
そういうものが相互に総合的に影響しあった結果、
たまたまA君は引きこもりという状態が表出して見えているだけ。
それぞれみんなが問題を抱えている。
例えば、子供が親に対して
「こんな風に自分がなったのは、親のせいだ!」
というのも投射ですね。
・・・
話が長くなりました。
自分に対してできることだけが、
本当の意味で他人に対してできる。
人の為(ため)と書いて
「偽(いつわり)」と読む。
他人に対してしてあげる親切も、
自分が過去に抱えた心の穴を埋めるための親切なのか?
それとも、自分が自分に優しくできている分だけ、
あふれ出た優しさのおすそわけする親切なのか?
この差は大きい。
自分の心を聴き、自分を支えてあげられる人だけが
本当の意味で人のためができる人ではないでしょうか。
自分に優しくするための傾聴を広げていきたい。
「自分が楽になった分だけ人を楽にできる」
傾聴1日講座はそんな本当に聴ける人を育てるための講座です。
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毎月平日と休日、各1回ずつやっています(基礎講座)。