「結果」を「目的」にしない

先日、テレビを偶然見たら、

バドミントンのリオデジャネイロ五輪代表の

奥原希望選手の特集をやっていました。

特にオリンピックに興味が深い

というわけでもないのですが、

なんとなく目に留まって

しばらく見ていました。

奥原選手は両足のけがを乗り越えて、

今回最も金メダルに近い日本選手の

一人と言われている逸材・・・だそうです。

(いままで知らなくてゴメンナサイ(汗))

身長が世界トップ10の中では

一番低い150センチ台であるにもかかわらず、

ものすごい体の柔らかさだからそこできる

リターンの粘り強さで

相手の選手が根負けさせる技術と

負けない精神力の強さは圧巻です。

そのバドミントン大好きと語る

奥原選手が番組の最後に、

番組と視聴者に向けてオリンピックに向けて

「目標」

を宣言するシーンがありました。

その言葉を聞いて、さらに奥原選手の

偉大さを感じたのでありました。

その言葉とは

 ・
 ・
 ・

「ガッツあるプレーを約束します!」

普通どうでしょうか?

テレビ向けに何か宣言する

スポーツ選手の多くは、

「優勝します!」

とか、順位を言うことが多いと思うんですね。

でも、奥原選手はあえて順位ではなく、

試合に向かう姿勢を強調したわけです。

スポーツをしている方から見れば

順位を気にするは当たり前だと

思われるかもしれませんが、

「目標と結果」の関係から言うと、

「優勝」を目標にしても、

いい結果は決して出ないんですね。

・・・

以前もこの話をしたことがあるかもしれませんが、

これは学校を

「受験勉強の目的とはなにか?」

の問いに対する答えと同じことです。

もしそう訊かれたらなんと答えるでしょうか?

普通に考えたら当然、

「合格するため」

と答えますよね。

でもそれは「ちがう」ということです。

「受験の目的」は合格するため、

あるいは入学後の先にある

自分の希望を叶えるためで間違いありません。

でも、

「受験『勉強』の目的」

は違います。

「勉強」の目的ですから、

答えは、

「試験問題に出そうな範囲すべてについて、もれなく理解できるように努力すること」

が勉強の目的であります。

つまり何が言いたいかといいますと、

「目的は結果ではない」

ということ。

そして、

「結果を目的だと勘違いすると、そこには必ず無理が生じてうまくいかななくなることが多い」

ということであります。

もし受験勉強の目的が「合格」だったとすると

何が起こり得るでしょうか?

むかし、芸人のなべやかんさんが

大学への替玉受験・裏口入学が

問題になりましたが、

それと同じことが起きたりします。

「合格」はその人が目的に向かって

努力をした「結果」です。

そして、

「結果」は自分が決めることはできません。

結果は別の誰かが決めたり、

他の人との相対的な位置で決まります。

自分では決められないものを

「目的」にしてしまってはいけません。

・・・

ときどきカウンセリングやコーチングを

している人の中にも

「目的と結果」が混同している人を目にします。

カウンセラー自身にとって

カウンセリングをする目的は

「クライエントを元気にすること」

でしょうか?

いいえ違います。

クライエント自身にとっての目的は

元気になることでいいのですけれども、

それを提供するカウンセラー側の目的は、

「元気にすること」

ではありません。

クライエントが元気になることを、

とても「願い」はしますけれども、

「目的」ではありません。

やはりカウンセラー自身には手が届かない

クライエントが決める「結果」であります。

カウンセラー側の目的は唯一、

「クライエントが元気になることを願って、より支援的なかかわりができるように自身の技術や知識を深める努力をすること」

のみであります。

まさに奥原選手がいう

「ガッツあるプレー」

と同じであります。

「努力さえすればよい」

ともいえますし、

「努力しかできない」

ともいえます。

・・・

どちらにしても、

目的はあくまで自分でコントロール

できるものでなければ意味がありません。

自分ではコントロールできないものに

人生を預けてしまうことを「依存」と呼びます。

カウンセラーがもし目的を見誤り

「結果」を「目的」だと勘違いをしたら

何が起きるでしょうか?

・落ち込まざるを得ないその人の気持ちを無視して、無理やり元気づけようとする。

・質問をされたら、わからないことでもいい答えを無理やり返そうとする。

・相談された時点で、自分にはその能力はないのに、答えらしき何かをもっともらしく答えたりする。

・相手の感情を無視して、カウンセリングの理論を押し付ける。

・形だけうなずき、あいづちなどスキルに頼り聴いているフリをして、自己防衛に走る。

・感謝されたら喜びすぎ、感謝されないと自分ダメだと自己否定をする。

結果を目的と勘違いすると

こんなことが起きてしまいます。

目的と結果の違いを知ることは、

「自分はいったい何に手が届き、何に手が届かないか?」

自分の能力と限界を知ることですね。

※本記事では、広義の意味で目指したいものを目的と表現し、そのプロセスで発生する本来「目標」と表現するものも、狭義の目的と扱い「目的」と表現しています。

【この言葉を自分に言ってみよう!】

「『過去と他人は変えられない』と知りつつ、他人を変えようとしていないか?」

目的と結果を見誤らせるものは、

自分に対する「過信」です。

できない自分を受け入られる人ほど、

できずに困っているクライエントを

受け入れることもしやすくなるというわけです。

やはり私は、

自分との関係をよくするほど、

他の人との関係を作りやすくなる

カウンセリングが好きです。

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