聞かなくてもわかること、わからないこと

早朝、メルマガを書いていたら、

いきなり携帯(スマホ)が鳴りました。

何かと思ってみたら、

娘の携帯の

「電池が切れそうです。」

という予告メールでした。

「見守り携帯」

をご存知でしょうか?

小学生など小さな子供の連絡用に使える

電話と簡単なメールしかできない携帯電話です。

見守り携帯には親にはありがたい機能が

いろいろついていて、

その一つが、

「携帯の状態をお知らせしてくれる機能」

です。

たとえば、

人間が走っても出ないくらいの

高速で移動をすると

(たぶん誘拐などを警戒して)

「高速で移動しています」

なども教えてくれます。

その便利な機能の一つに、

電池切れが近くなるとメールで知らせてくれる

サービスがあります。

・・・

説明が長くなりましたが・・・、

その電池切れ予告メールを見たときに

あらためて

「便利な世の中になったなぁ」

と思ったのでありました。

同時に思ったことは、

「これではだんだん人に会わなくても、いろいろなことをわかった『つもり』になっちゃうよなぁ。」

ということであります。

そう思った瞬間に、

普段、親しくさせていただいている

知り合いのお医者から昔きいた

言葉が脳裏によみがえってきました。

その、診療所で診察をしてる

お医者さんがいった言葉とは・・・、

「(診察するときに)患者さんの方なんか見ていたら治療はできないよ。だって患者さんの方を見て聴診器をあてるより、パソコンの画面に映るデータを見たほうがより正確に患者さんのことがわかるんだから。」

でも、そのお医者さんは「ときどき」聴診器を

患者さんに「当ててあげる」のだそうです。

なぜか?

「聴診器あててあげると、患者さん喜ぶんだよね~。『サービス』ですよ(笑)。」

まあ、世の中のすべてのお医者さんが

そう思っているかは別として、

医師にしてみれば、より詳細な状態がわかる

パソコンの画面を見たほうが

症状がよくわかるから、

患者さんのためと思ってしているというこは

よく伝わってくるエピソードでした。

ここまで読んで何か

「違和感」

を感じる人もいるかもしれません。

「相手をわかる」

とはどういうことでしょう???

きのうのBLOGでも

人を理解するには

事柄、気持ち、過去、現在、未来・・・

とたくさんの要素があると書きました。

きのうのBLOG⇒「昔は今」

お医者さんがパソコンの画面を見るとよくわかるのは、

患者さんの病気の状態(事実・事柄)です。

では、パソコンの画面ばかり見ていて

「わからないのは何か?」

それは、

その体の不調を抱えてきた人が、

いまその場にどういう気持ちでそこにいるのか?

はわかりません。

お医者さんはパソコンを見ることで

「疾病」に出会うことはできますが、

「患者さん(人)」に会う事はしていないともいうわけです。

・・・

そんなことが脳裏によぎりまして・・・。

「携帯が鳴れば、電池切れは分かるけれども、娘がいまどうであるかはわからないよなぁ。それって、『娘のことがわかった』と言えるんだろうか???」

なんて思ったのでありました。

人間関係に行き詰まると、

本やネットで情報を集める人がいます。

その情報が、うまく向きあえない相手との

「向き合い方」

のヒントとなるものであればいいと思います。

でも、

自分と似ている他人独自の状況や、

相手と向き合わないまま

目の前にいない人の心理を推察し、

読み取ろうとするための情報収集では意味がありません。

「わたしは、引きこもっている息子に声をかけたほうが良いでしょうか?」

と赤の他人に訊いても、

そこに答えはありませんし、

他人にわかるはずはありません。

まず、

「自分は向きあいたいだろうか?(願望)」

と自分の内側を確認し、

「向きあいたい」と思うなら、

状況を分析したり、

それが「いいか悪いか」とういことに

心をくだき、苦労するのではなく、

「自分の願いを叶えるには?」

の部分に苦労をした方が、

結果的に願う方向の解決に近づくことになります。

いろいろ試して行き詰ったからこそ、

外に正解を求めたくなるわけでありますが、

実はその「外に正解を求める」といこと自体が、

自分の中の願いが自分の中で不明確だったり、

向き合いたいものに向き合えないが故に

起きている現象の一つだったりするんですね。

これをお読みいただいているあなたは、

パソコンの画面をみて状況だけわかって

相手をわかったと思っているお医者さんのように

なってはいませんか?

状況をわかるだけならパソコンでも、携帯のメールでも

他人のケースを聞くのでも、

本やネットでもオッケー。

でも、その人を分かろうと思うのなら

やはり直接会わなければわかりませんね。

「わたしは何を願い、何に喜ぶ人なのか?」

人と向き合うことは、

自分と向き合うことであります。

【この言葉を自分に言ってみよう!】

「人と出会い、自分と出会う」

<お知らせ>

自分を知り、人を知るコミュニケーションについて。
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