出張先で朝、コンビニに
買い物をしよう思い入った。
買いたいものを手にとり、
レジに向かおうとすると、
出勤途中の人たちがもう先に
20人ほどの長蛇の列を作っていた。
せっかちなほうなので、
いつもの自分なら、
「こんなに並ぶなら、別にいま買わなくてもいいか。」
と、あっさり商品を棚に戻し、
退店するはずだが、
その日は、なぜか出ていく気に全くならない。
「喜んで、待とう」
と、思った。
理由はすぐに思いついた。
その日は朝から、ものすごく暑かった。
湿度も高くてジメジメしていた。
まだ宿泊先のホテルを出て
5分しかたっていないのに
すでに洋服が肌に張り付くように
汗をかいていた。
それに比べてコンビニは
入った瞬間に涼しく心地よかった。
店の奥まで続くレジ町の大行列に並びながら
あることに気が付いた。
・・・
私は今まで、
「レジが混んでいたから、買わずに店を出ていた。」
と思っていた。
でもそれは半分正しいが、
半分は間違っていた。
私は、
「レジが混んでいれば、並ばずに店を出る人。」
であると同時に、
「レジが混んでいても、涼みたい欲求のほうが強ければ、長蛇の列にも並ぶ人。」
でもあった。
つまりレジに並んだり並ばなかったりする原因は
外(コンビニ)だけでなく、
内(涼みたい欲求)にもあった。
・・・
「親がこんな育て方をしたから、私はこうなったんだ。」
「子供が言ったとおりにしないから、怒ったんだ。」
こんな風に思う人もいるかも知れないが、
物事を見るときに、
「AだからBだ」
と決めつけることは実はできない。
それは一面的であって全体ではない。
「親がこんな育て方をしても、私はちゃんと生きている。」
という道もあるし、
「子供が言ったとおりにしないけれど、怒らない。」
という選択肢もある。
その道を採用していないのは、
最終的には自分。
つまり人には、
自分の内(欲求)が満たされたなった時、
その責任をできるだけ外に
押し付けたくなる心の動きがある。
同時に、
たとえ外で起きた出来事そのものが
気に入らなくても、
それを超える内なる欲求があれば、
今までと違う選択もできる。
決めているのは自分。
【この言葉を自分に言ってみよう!】
「外を責める前に、満たしたい内なる欲求に気付こう。」
そんなことを考えているうちに、
あっという間にレジの順番が回ってきた。
待ち時間というも
時によって長く感じたり、
短く感じたりするから面白い。
結局、人は内なる主観だけで生きがちだ。
そんなことを考えつつ、
もう少し涼みたかった欲求を感じながら
仕方なく、猛暑の中に戻っていった。
もうちょっと、列が長かったらよかったのに・・・。
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