コミュニケーション力の限界

先日、電車に乗ったら、

たまたま、角の席が空いていて

座れてラッキーでした。

(角席はすきですか?)

しばらくして、次の駅に着いたとき、

私の、右隣に座っていた女性が立ち上がりました。

そして、降りるのかと思ったら、

向かい側の席に移動していきました。

皆さんどう思いますか?

席を立って向かいの席に移動するって・・・。

しかも、

その女性が移動していった先の席も

角から2番目の席だったのです。

ちょうどお向かいに移動した形になりますね。

ちょっと理解に苦しみまして(汗)。

まだ、

移動した先が角席だったなら、

なんとなく理解できる気もします。

理解に苦しみ、妄想が頭の中をよぎります。

「私の体から匂いでもしたのだろうか?」

「一番角の席に座っている私にはわからないが、2番目の席は朝日が暑かったのだろうか??

「もしかしたら、私の隣の隣、つまり角から3番目に座っていた人に、何か不都合があったのだろうか?」

都合のいいように、合理化して考えようとしてみても、

本当の理由はやはりわからずじまいでした。

すると、

人間というのはくだらないことを考えるものでして、

次に意識は、横にいた隣人に席を「たたれて」しまった私は、

周りの人たちからいったいどう見られているんだろう?

という、くだらないことに関心が向きました。

でも、

私(と角から3番目の人)が

周りの人からどう見られているか?なんて、

妄想はしてもやはりわかるはずもないのでした。

でもなんかちょっと気まずい気もしますよね。

・・・

相手とちゃんとやり取りするための

コミュニケーション能力は

確かに高いに越したことはないと思います。

私もそれを教える仕事をしていますし。

でも、もう一つ思うのは

コミュニケーション能力というのは

その上にあるもう一つ大きな

「人間力」の一部分にすぎないということです。

人間力が高い人は、きっと

コミュニケーション能力も高いでしょう。

でも、コミュニケーション能力が高い人が、

必ずしも人間力が高いとは限りません。

なにが言いたかったかといいますと、

一言でいうと、

いくらコミュニケーション力を鍛えても、

「考えてもわからないものは、考えてもわからないのだ。」

ということです(笑)。

今回の電車の場面であれば、

理由がわからなかった時に

発揮できるコミュニケーション能力なんてあるでしょうか?

わざわざ、向かいの席まで行って

女性に移動した理由を上手に尋ねるとか???

あり得ませんよね(笑)。

コミュニケーション能力をあげたところで、

人生には解決できない問題がたくさんあります。

相手と誠実にやり取りして分かり合う能力が

コミュニケーション能力なら、

わからない中でも、不安なく

よりよく生きる力は「人間力」と言えるでしょう。

人生の目的は、

コミュニケーション能力をたかめることではなくて、

人間力を上げる一環として、

たまたま、コミュニケーション能力も

鍛えているというだけのことです。

相手とコミュニケーションをちゃんととりながら、

問題を明らかにして、解決できるのは素晴らしいことです。

でも、

もう一つ素晴らしいと思うのは、

世の中にあまたある、

はっきりすることができないグレーゾーンの中でも、

自分を信頼し、周りの人を信頼し、

気持ちよく生きられるとしたら、

仮にコミュニケーション力は低くても、

むしろそのモヤモヤにも付き合える能力の方が

ありがたいと個人的には思うのでした。

【この言葉を自分に言ってみよう!】

「人生、白黒つけられないことはたくさんある」

最後、心の中で

「これは、人間力を鍛える最高の練習の場なのだ」

と合理的思考で言い聞かせて、

別のことを考え始めたのでした。

それにしても、電車の中というのは

人間観察にとてもよい場所です。

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