アドラー心理学ブームは
少し落ち着いたように見える。
でもアドラーの本を読むこと、
特にブームになる前に書かれた
古い「冷静な書物」を読むことは、
本当に伝えたいポイントを知るうえで
とても有意義だと感じる。
・・・
「長男」は次の子が生まれることにより、
母親の意識がそちらに向いてしまうことにより
ナンバー1の地位を追われる。
それが劣等感につながる。
劣等感は、幼少期のライフスタイルにより
意味付けられることが多いのだそうだ。
では、兄から母を奪ったはずの、
二男である私が長年抱えてきた
(そして今も抱えている)
劣等感は、どこからきているのだろうか。
「どの時期」の「どのような出来事」が
自分の中に強く印象づけられているのか?
丁寧に出来事とそれにまつわる感情を見つめてみた。
すると、
小学3年生の頃の私は、
大きな心のわだかまりなどなく、
無邪気に長野の野山を走り回っていた。
でも、小学4年生の私は、
「中学生になる恐怖」を抱えていたのを思い出した。
その年、3つ上の兄が中学校に進学した。
そして、1学期の最初の実力試験で、
5教科500点満点で450点をとった。
母はそれを素直に喜んでいた。
当時、小学4年生だった私には、
450点という意味はまだ分からなかった。
でも、母が喜ぶ姿をみて、
自分にも同じことか、それ以上のことを
期待されていると、勝手にうすうす感じた。
いや、もしかしたら、直接そう
言われたのかもしれない。
以来、33年たった今でも450点という
兄の点数は忘れない。
そして、自分がいよいよ中学に入った時、
最初の実力試験でとった
431点も忘れていない。
兄が450点をとった日か、
私が431点をとった日のどちらかに、
きっと私は「トップの座」を明け渡したのだろう。
とにかく中学生の私は、
テストの点数をものすごく気にして過ごした。
同時に勉強が大嫌いになった。
以来、兄の点数はずっとよく、
5教科のトータルで兄に勝つことはできないと
いつの頃か悟った。
そこで、英語だけはいつもでも学年で上位に
入ることに執念を燃やした。
英語だけ頑張るから「許してほしい」と
主張したかったのだろう。
・・・
高校選びも、母と私の折り合いがつく、
そこそこの進学校に行ったが、
それはまた次の悲劇をよんだ。
クラスメイトは頭がいい人ばかりで、
英語すら死守することが難しくなった。
そこで、英語が喋れない
英語の先生の無能さのせいにして
ときどき授業をボイコットし、
英語からも身を引いた。
そのころには十分、自分は
落ちこぼれだと思うようになっていた。
悪気はないが成績がいいことを母は喜ぶ人だった。
落ちこぼれの烙印を自分に押した私は、
母から心の距離をとった。
・・・
自分も親になったいま、
「子供の成績は気にしない方針」
をとっているのもそのためだろう。
テストの点などおかまいなしに
過ごしているわが子を見ていると、
むかし自分が持てなかったものを
持ってくれているのが
愛おしいようでもあり、羨ましくもある。
でもそれは、
「点数を気にしない人生を送って欲しい」
という、世間によくある子供に対する
「逆の期待」をかけているだけに過ぎない。
変な言い方だが、私はただ
「『点数を気にしないこと』を気にしている人」
なのだ。
ガミガミ勉強しろという親とは逆の行為が表れているだけで、
根っこにある心理はたいして変わらない。
だからときどき不意に、娘に羨ましさの方が
強く出てくるときがある。
無意識の真っ暗な海底の底から、
「私立受験をさせたほうがいいのではないか?」
むかし自分が親からの愛を受けるのに
必要だと信じていた、そして自分を苦しめたはずの
悪魔のささやきが、ふと顔をのぞかせてくる。
でも、その悪魔は最近はあまり勢いがないから
海面近くまでは上がってこない。
12年カウンセリングを学んだ成果を感じる。
・・・
12年経ち、有名ではないけれど、経験値は上がった。
一番上がった経験値は、他人に良質の
カウンセリングを提供するための経験値ではない。
自分との良質の関係を作るための経験値だと思う。
結果的に、人との関係も飛躍的に楽になった。
いまも私は、人のためにカウンセリングを
していると思うことはない。
自分に必要があって、自分のためにしているだけだ。
そう、胸張って言えるだけでも、
プライドがガチガチに高すぎた、
中高生の頃の自分に比べれば、
なんて楽なんだろうと心底感じる。
若いころは何度も自分を投げ出しかけた気がする。
いまは、自分を決してあきらめていない。
そんな自分を誇りに思う。
【この言葉を自分に言ってみよう!】
「自分をあきらめない」
自分に気づき、自分を受け入れられれば
人のために何かしてあげようなどと考えなくても
自然と「人の為になってしまっている」はず。
人の為にこだわるのはやめよう。
自分の為に本気になろう。
過去の傷をいやそうとするよりも、
今の自分を生かそうとすることの方が大事。
アドラーもそんなことが言いたかったのかもしれない。
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