「投げやりになるときは、あるものを失っている」
最近、あることがきっかけでそのことに気がついた。
・・・
木曜日から大阪に来ていて、
いまホテルの部屋でこれを書いている。
定宿のビジネスホテルにつくと、
結構な確率でいつもの受付の社員さんに合う。
すると自然とホッとする。
4、5年前来た時、部屋に不具合があったとき
部屋の交換の対応をしてくれたのがその女性社員のAさん。
当時、まだ新人さんの雰囲気があり、
緊張しながらも、ものすごく丁寧に
対応してくれたのを覚えている。
その後、何度も来ているので、お互い顔と名前くらいは覚え
会えば多少の親しみはもって挨拶くらいはする。
私「Aさんまたお世話になります。来るたびに、辞めてやしないかとドキドキしましすよ。」
Aさん「ありがとうございます。まだいます(笑)」
私「もう長いですよね。4~5年ですか?」
少し考えて、
Aさん「6年になります」
私「長いですね。私の経験だと3年目、5年目くらいに会社は辞めたくなったものですけど、素晴らしいですね。」
すると、あっさりと
Aさん「5年目にありました」
返事は期待していなかったのに、
意外とあっさり答えてくれたことに驚いた。
私「どうやって乗り越えたんですか?」
Aさん「職場のいい仲間に支えられて!」
私「それは素晴らしい。仲間に恵まれましたね!」
部屋のキー受け取ったので、
会話はそこで終わりにして、部屋に入った。
でも、そのあとも「何か」が引っかかっていた。
「なんで自分は、3年目と5年目に辞めたくなったんだっけ???」
結局、7年目に辞めた。
その時の理由は鮮明に覚えているのに、
3年目、5年目、途中でやめたくなったときの
理由がまったく思い出せくて、モヤモヤしていた。
思い出せないくらいだから、
どうせ当時は真剣だったとしても、
他愛もない理由だったのだろう。
・・・
それから翌日、翌々日と、
仕事がない時間にそのことについて、
ゆっくりと思い返してみていた。
具体的な原因は思い出せなかった。
でも、なぜか、辞めたいと思っていたその頃、
見ていた風景の場面が、
ところどころ頭の中でフラッシュバックして
脳裏によみがえってきた。
営業車で走っていた時、渡った川の橋・・・。
某牛丼店で食事をしているときの店内・・・諸々。
見えてきた景色たちに、共通いしていたことが2つあった。
一つは、
そこまでに積もり積もった「何か」が限界に達していこと。
そして、もう一つ。
その時の自分の心が「孤独を感じていた」こと。
原因が思い出せない私も、
そのときの感覚だけはハッキリと思い出した。
・・・
人間関係は絶妙に、微妙なバランスの上に
成り立っているものだと思う。
ちょっと問題を抱えた時、
あえて相談できる人が身近にいなくても、
人は、そばにいる人たちの様子を勝手に見て、
勝手に学び、勝手に癒されたりする。
(勝手に腹を立てることもあるが・・・)
でも、人間関係のバランスが変わる・・・
例えば悪気のない誰が来たり、
悪気なく誰かがいなくなったりしただけで、
その微妙な人間関係のバランスは崩れてしまう。
(異動とか、担当変更とか)
すると、
起きている現象は同じでも、
いままで自己解決できていたものが、
自己解決できなくなってしまったりする。
・・・
とにかく人は、意識的にも無意識にも
人に傷つき、人に癒されるしかない。
今の会社に入って、もう14年くらいになる。
今いる会社は、もともと入りたいと初めから
願って入った会社ではない。
失業し、家族がいる中で
いつまでも人生を先延ばしできないと思っていた時に、
たまたま声をかけてもらって入った。
そんな私はいまは普段、一人で動くことが多い。
けれど、孤独はあまり感じていないことに気が付いた。
ちゃんと私のわがままを見守って
支えてくれている社長や社員がいる。
先ほどのAさんのように、
直接支えてくれる人がいるのもいいし
直接そばにいてくれなくても、
心でそばにいると感じられる
人たちがいてくれるならそれでもいいと思う。
何気ない、ホテルの従業員さんとの会話から、
何かが嫌になるときというのは、必ず
「孤独を感じている」
という発見があった。
ならば私は、
せっかく傾聴ということをしているのだから
体はいつもそばにいられなくても、
心で誰かのそばにいられる存在になりたいと思う。
家族に対してもそれは同じ。
【この言葉を自分に言ってみよう!】
「体より、心の孤独が投げやりにさせる」
あなたももしかしたら、過去に投げやりになったときは
孤独を感じていたのではないでしょうか?
投げやりになっているときに失っているもの。
それは、最後の砦であるはずの、
自分からの「信頼」ではないでしょうか。
なにか過去の自分を振り返ると、
自分が自分を見放したときにこそ、
投げやりになっていた気がします。
自分が自分のそばに寄り添っていない。
それが一番厳しい孤独ですね。
<お知らせ>
誰かがそばにいてくれたらうれしい。
でも、みんな都合よくそばにいられないときもある。
もう一つ自分が自分の心を傾聴して
「自分だけはいつもそばにいてあげる」
という方法もあります。
自分にも他の人にも、そばにいてあげられる聴き方。
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