多くの人は「なぜ」と質問することが、
相手のことを理解できると勘違いしている。
子どもたちの朝食の準備は私の仕事。
とはいっても、12歳の娘は
私同、様朝食はめったに食べないので、
用意するのは6歳の息子の分だけになる。
ある朝、目覚めたばかりの息子に、
いつものように朝食は何を食べたいか訊いてみた。
すると、
意外な答えが返ってきた。
「味噌」
いままで息子が朝食に「味噌」を
食べたいなんて言ったことがない。
一瞬、何のことだかわからずにとまどった。
思わず「なんで味噌なの?」と訊きたくなった。
でも、そんな自分を、もう一人の自分が出てきてとどめた。
「理由なんて訊いても意味がない」。
「なんで味噌なの?」と理由を尋ねるのをやめて
「味噌というのは、みそ汁とか、キュウリにつける味噌マヨネーズに入れる味噌のことでいいんだね?」
と、
息子が欲しているのものが、本当にそれで正しいのか
確認する質問に切り替えた。
すると息子は「うん」と大きくうなずいたので、
そのまま冷蔵庫から味噌をとりだして、
息子と一緒にスプーンにすくいながら
食べたい量を小さなお椀に入れた。
今まで人生の中で味噌だけを単独で
食べたことがなかった(はずの)息子は、
一口食べて「しょっぱい!」と驚いたが、
そのまま2口、3口と食べ続けて満足そうだった。
・・・
人と話をしていると「なんで?」と
理由を質問したくなる時がある。
「なんで?」と訊くことで、
理解が深まると思っている。
でも「なんで?」と訊くことは、
たいてい相手を理解するのに役に立たない。
なぜなら「理解」には2種類あるからだ。
一つは、いま言った通り
「理由を訊き、状況を理解する」
という意味の理解。
もう一つは、
「相手の感じていることをそのまま認める。」
という意味の理解。
「そのままを認める=理解」だなんて、
ピントこない人もいるかもしれない。
でも「理解を示す」という時の「理解」だといえば、
少しイメージが付きやすいだろう。
または、聴くほうの立場ではなく、
聴いてもらうほうの立場で考えてみたらよくわかる。
「あの人は、私のこと理解してくれていない!」
といった人がいたとしよう。
その人が言わんとしている「理解」は、
理由や状況のことを意味していない
ということはたやすくわかるだろう。
「私を、そのままを認めてくれていない」
という意味で使っている。
「あなたは私のことを理解していない!」
「いや、ちゃんと理解しているよ!」
という、ときどき目にする不毛の言い争いの原因は、
まさにこの
「状況や理由を把握している」という意味の理解と、
「そのままを認めていない」という意味の理解の
「理解」についての解釈のずれで
会話がかみ合わなくなっている。
本人たちは必至なのだけれども、
こういうずれた会話を目にすると、
見ているほうとしては、
漫才を見ているようで実に面白い。
・・・
状況や理由さえ理解できれば、聴き手としては納得できる。
だから聴き手は状況や理由を訊きたがる。
でも、話し手が理解して欲しいのは
状況や理由ではなく「気持ち」。
自己満足したいのではなく、
相手をちゃんと理解したいなら、
状況や理由を知りたがっている自分に気づいたときに、
その思いをちょっとわきに置いて
相手の気持ちをそのまま認める方の理解を示せれば、
人間関係のすれ違いは、間違いなく減る。
【この言葉を自分に言ってみよう!】
「状況理解より、気持ち理解」
味噌を食べたくなっている息子が
目の前にいることをそのまま理解し認められれば、
息子がなぜ味噌を食べたくなったか?
理由を質問するよりも、
この量が息子の希望に沿っているか?
を質問することのほうが、理解を示したことになる。
「理解」には種類があることを知ろう。
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