先週の夏休みに続き、
きのうから再度、広島来ています。
先週は空港から大久野島、今週は広島駅。
広島は、駅と空港がかなり離れているとはいえ、
人生で2度しか来たことがない広島に、
二週連続で来られるなんて最高の気分です。
・・・
新横浜の新幹線ホームで整列して、
電車尾到着を待っていた時のこと。
目の前に母子が立っていた。
子供は男の子で小学1年生くらい。
「夏休みだから、家族旅行なんだろうなぁ」
と想像しながら、親子を横目に見ていた。
新幹線が来るまでまだ少し時間がある。
すると、お母さんが子供に向かってこう言った。
「写真とろう!」
「写真撮って、今から向かいますよってジイジとバアバに送ろう!」
そう言ってスマートフォンを取り出し、
「こっちを向くように」息子に促した。
ところが、なかなかシャッターを押さない。
どうやら息子が、写真を撮れる
態度をなかなかとらない模様。
「こっち向いて!」
「目をちゃんと開けて!」
「変な顔しないの!」
ユーモアたっぷりの息子に向かって指示をする母。
その光景を見て、うちのに息子に似ているようで、
「なんだかわかるぁ」
と、同感しながらほほえましく見ていた。
まだシャッターを押さないはお母さんは
さらに付け加え始めた。
「(子が背負っている)リュックを見えるようにして!」
「Vサインして!」
そして、
いろいろ注文を付けるのに、
なかなか言うとおりにしない息子に最後にこういった。
「普通にして!!!」
先ほどまであった同感は、少し興ざめした。
「こっち向いて」
「目を開けて」
「変な顔しないの!」
くらいまでわかる気がする。
でも、リュックおわざわざ見せるとか、
Vサインをするまで行くと、それは普通に思えなかった。
・・・
「普通」という言葉を辞書で調べてみると
つぎのように出てきくる。
「特に変わっていないこと。ごくありふれたものであること。それがあたりまえであること。通常。一般に。」
皆さんもだいたい、こんな感覚で異議はないでしょう。
でも、一つ一つの言葉の意味を
丁寧に考えてみたらどうだろう?
例えばこんな風。
「変わってないとは、何と比べて変わっていないのか?」
「ありふれているとは、具体的にどういう状態なのか?」
「誰にとって当たり前なのか?」
「何をもって通常と呼ぶのか」
「一般とは、どこが基準なのか?」
一つ一つをよく見てみると、結構深い
・・・というか、明確な基準がないことがわかる。
・・・
私は、そろそろ44歳になるけれど、
44年間当たり前に生きていたからといって、
明日も同じように生きているとは限らない。
つまり世の中には「普通」も「当たり前」も存在しない。
・「普通にしなさい」→「私の考え通りにしなさい」
・「それは普通じゃない」→「私の考えと違う」
と、個人的な意見を形を変えて言っているにすぎない。
「普通」という表現は、自分を正当化したいときよく使われる。
それは「私の個人的な希望」と言ってしまうと、
無意識はなんだか自分がわがままな人間に感じてしまうし
(本当はみんなわがままなのだが)
個人的な希望と言ってしまうと、仲間がいないから
自分の意見が通らなくなる恐れが出ている。
だから「普通」と言いたくなる。
周りのものを味方につけて、自分を正当化したくなる
心理と行動を「一般化」というがまさにそれ。
あなたの周りにも「普通そう思うでしょう!」などと、
同意を求めてくる人はいませんか?
(もしたら、あなた自身がそうだったりするかも)
孤独な時に「みんながそばにいるよ」といってもらえれば
心強い励ましに感じることもあるでしょう。
でも、意見が違う相手から正当化する手段として、
「普通」という言葉にまるめて説得されたら、
いい気分はしません。
【この言葉を自分に言ってみよう!】
「普通はみんな違うのです」
当たり前のようでいて、
つい普通といいたくなってしまうものですね。
普通といわず、自分の希望(アイメッセージ)として伝えるのが、
押し付けあう苦しい人間関係を作らないコツです。
<お知らせ>
自分の普通と相手の普通を分かりあうには、
傾聴が役に立ちます。
↓
http://bit.ly/2qvtDuo