選ぶとは諦めること

「何かを選ぶということは、同時に別の何かをあきらめるということ」

ならば、あきらめたものについて、あとから蒸し返すのはもったいない・・・。

今週わが家に家族が増えた。

6年ぶりに「ウサギ」を買った。

それはそれで嬉しかった。

でも、同時に悲しみもあった。

ウサギを飼い始めるということは、

同時に、一生に一度は飼いたいと思っていた

「猫をあきらめる」

ことを意味していた。

人生何があるかわからない。

今後の人生のいたずらで、

猫を飼う機会が100%ないとは言えない。

でも、私が大昔、勝手に思い浮かべていた、

「子どもたちと猫がいる生活」

は、もう実現しない。

私は、ウサギがいる人生を選ぶと同時に、

猫がいない人生を選んだ。

ウサギを飼うと決めたとき一瞬躊躇したのは、

ウサギを育てられないことへの不安ではなく、

「本当に猫をあきらめていいのか?」

という躊躇だった。

・・・

何かを手に入れる選択をするとき、

同時に何かを諦める選択をしている。

もしAもBも両方手に入るなら、

それは選択とは言わない。

選択=決断。

ウサギを買うときに、

猫への想いを断つ決断をした。

そして、

この「断つ」ことがともて「いい」のだと思う。

ちゃんと断たなけば、シコリが残る。

ちゃんと断つからこそ、

いま目の前に残った現実が意味深く感じる。

…いや、残された現実の方を

「意味深いものと思おう」

と積極的に脳が努力し始める。

別の言い方をするなら、残されたものだけで

成果を上げようと必死になれる。

「あれが、あれば」
「あれが、なければ」

と現状を憂う人は、

せっかくいままで自分がしてきた

過去の選択を台無しにしている。

自分をそんな風に粗末にするのは、

もったいない。

・・・

また、

決断は自分でしてこそ意味深さが増す。

自分で決断せず、人のせいにしてしまっては、

危機感も薄くなり、成果も薄くなる。

だから、

他人の人生にアドバイスるするのも

注意して行わないといけない。

よかれと思う余計なアドバイスは、

自分で悩み、自分で決断する

大切なプロセスの妨げとなる。

せっかく決断するチャンスが

目の前になるのに、奪ってはいけない。

アドバイスをするという「選択」は、

何かを与えていると同時に、

何かを奪っていることを

知っておかないといけない。

与えるも選択、見守るも選択。

・・・

何かを選ぶというとこは、

同時に何かを失っているということ。

だから、

あとになってから、

「別の選択をしておいた方がよかったかも」

と考えることほど、

つまらないことはない。

せっかくの決断が台無しになる。

常に人は、いまの自分を生かそうと思い

悩みながら決断を選択ている。

過去の選択は、常にベスト

・・・ではなく「できうるベター」。

それ以外に答えはない。

過去の自分の選択を悔やむことは、

今ここにいる自分の存在を否定すること。

選択するとは、別の何かをあきらめること。

あとになってから、

あきらめきれないと言い出すのは

自分に対するルール違反。

選択は常に正しい。

自分に対するルール違反をして、

無意味に自分を傷つけるのはやめよう。

【この言葉を自分に言ってみよう!】

「他の選択肢はなかった。以上」

でおしまい。

そしてその次に、

「で、いまからどうする?」

と未来の行動だけ考えてば、それでいい。

自分がいかされる。

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いまも過去もそのままを認める聴き方

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