向いた仕事というものは、
見つけるものではなくて「自分で作る」。
あるいは「向くように変える」ものではないかと
ある人物を見て学んだ。
・・・
歯が痛くなり、かかりつけの歯医者に電話をした。
でも、出ない。
何日かに分けて4回かけても、5回かけても出ない。
もしかしたら、しばらく行かない間に
廃業したのだろうか?
いや。
それにしては、呼び出し音が鳴るのはおかしい。
明日がちょうどあいている。
そんな日にもう一回だけかけたら
受付の女性が出て、
なにごともなかったかのように、予約がとれた。
翌日、行ったときに先生に
「なかなか、電話がつながらなくて」
と伝えたら、
「そうでしたか」
と淡々と答えそれ以上、何も言わなかった。
そして歯も、淡々と直してくれた。
・・・
この歯医者の運営は昔から独特だ。
受付の女性は一人しかいない。
「一人しか雇っていない」。
受付の女性は受付と先生のアシスタントの両方をする。
そして、
ときどき受付の女性が手を離せないときは、
「先生が」窓口に移動して、
会計や次回の受付をする。
先生は何でもする。
先生はずっと動き回っている。
そんな変わった歯医者さん。
・・・
他にも変わっていることがある。
普通、歯医者には「治療に行く」と思うが
ここに行くときの感覚はちょっと違う
先ほど「淡々と直してくれた」とわざと書いた。
「治す」のではなく「直す」
という表現がピッタリ。
修理に行く感じ。
悪いとこ見つける。
私はたいてい時間がない。
そう伝えると、余分なことは何もしない。
悪いところだけさっさと削って埋める。
それでおしまい。
時間にしてわずか10分で、虫歯がなくなる(見かけ上)。
「とりあえず埋めときました」
と先生も言う。
「でも、何回も削っていて、木の葉はほとんどなくなってるから、そろそろ危ないかもしれないね。そうしたら、金属とかにしないといけないかも。」
今後、必要そうなことも一応いう。
今回直してもらった歯は、
もう4回ここで直してもらっている。
私自身、そろそろやばい自覚はある。
先生は「職人」であり「事務員」でもある。
この病院が私はなんだかとても好きだ。
この病院は、昔からちょっと変わっている。
いや、先生がちょっと変わっている。
・・・
仕事でも家庭でも、自分の役割は
どうやって決まるのだろうか?
なにか役割を具体的に
与えられている人もいるかもしれない。
でも、その役割以外は何もしてはいけないと
制限されていることは、
あまりないのではないだろうか。
お父さんは、外で稼いでくる役割だからと言って、
家で料理を作ってはいけないという決まりはない。
新入社員は、先輩の後ろに
座っている役割だからと言って
お客さんに元気に挨拶してはいけない
という決まりはないだろう。
つまり役割は、なんとなくの慣習と
自分の思い込みで決定されていることが
多いのではないだろうか。
でも、あの歯医者さんではないが、
「自分がこうしたい」
「こうやろう」
と思えば、常識とは違う役割を
自分に与えることもできる。
仕事場も家庭も、もし、
なんとなく今の役割に居心地の悪さを
感じている人がいたとしたら
それは、与えられた役割そのものの
せいではないかもしれない。
自分が自分をなにかで
制限しているからかもしれない。
そう疑ってみる価値はある。
自分の人生を人のせいにすることほど
つまらないことはない。
自分の人生の舵を自分でにぎる意味でも、
役割は自分で再定義してみるのがいい。
【この言葉を自分に言ってみよう!】
「私の役割は、何にしようか?」
自分に心地いい基準で考える。
要するに、あの歯医者さんは、
人手が足りない時ははじめから
電話に出る気がないのだ。
接客業としてどうこうを越えて、
そのブレないスタンスに脱帽する。
そしてきっと、次回予約をとろうと
何度も電話をかけても、
またでないこともあるだろう。
でも、何度かけても先生はまったく
気にもしないだろうことが手に取るようにわかる。
愛情にあふれてはいないが、
ドロドロもしていない生き方が、
ある意味爽快に感じる。
自分を持っている人と、付き合うのは
実に気分がいい。
私はあの歯医者に行くのがいつも楽しみだ。
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