私自身の、今年の活動のテーマは
「人に時間をかける」
です。
昨年、本格的に傾聴の講師の方が増えてきた。
今までは、自分のやりたいことを、
自分のしたいタイミングでやってくるだけでよかった。
でも、広い意味でもっとうまくやろうと思ったら、
これからは、それだけでは足りない。
協力し合える人たちと一緒に
何を進められるようにならないと…。
ということで、
人に時間をかけるようにした。
おかげで、知り合いから相談に乗ることも増えたし、
一時期完全にやめていた個別カウンセリングも
知人からの紹介分くらいは受けるようにしたら、
そちらも支援を求めてくる人があとを絶たない。
お金より人を優先した部分が増えたので、
ビジネス的な課題はいろいろあるけれど、
年末が近づいたいま、ここまでを振り返ってみると、
なかなか、よくやってきたと思う。
むかし、人見知りで、わがままで、
プライドが高かった自分にしては上出来。
・・・
人に時間を使おうと決めたとき
守ろうと思ったことがある。
それは、
「自分のための時間も同じくらいたくさん作る」
こと。
やりたいことを遠慮せずできる時間。
家で火事に集中できる時間。
休む時間。
一日は24時間しかないから、
片方が増えてば、もう片方は減りがち。
だけれどもその中でも、
自分に必要なタイミングで休んだり
遊ぶことを積極的にしてきた。
ここまで、やってこれたのは
そうやって自己犠牲しなかったからこそ、
人の為にも動けた。
時間に限らず何事も、
自分の大切な「何か」を削ったり、譲ったりすれば
それにより喜ぶ人はいるかもしれない。
でも、誰かの自己犠牲のおかげで、
別の誰かが喜ぶことに
果たして意味はあるのでしょうか?
私的には、それでは±ゼロで、
幸せな人は増えていないと思う。
また、
自分と楽に付き合える方法を知っているからこそ、
他の人にも、楽を提供する方法を
提供することができるのではないでしょうか。
・・・
お金に例えると分かりやすいかもしれません。
私の方がお金を少し多く持っているからと言って、
誰かに、お金を直接あげ続けることが
親切とは言えない。
お金を稼ぐ方法を、伝えてあげたほうが
お互いが負担なく幸せになれる。
つまり、お金は少し多く持っていても、
お金を稼ぐ方法を知らない人は
お金を稼ぐ方法を提供することはできない。
だから、身を削ってお金自体を渡すしかない。
心も同じ。
心の整え方を知っている人は、
心の整え方を提供することができる。
心の整え方を知らない人は
たとえ自分が疲弊しても、
自分の心自体を提供するしかない。
それは「親切」といえるのか?
・・・
傾聴も同じ。
本当は言いたいのに、我慢して
自分の気持ちを抑え込んで、
無理して聴いても意味はない。
お互いが楽にならない聴き方はいずれ破綻する。
傾聴ボランティアは
始める人も多いが、やめる人も多いのは
そういう理由。
自分をケアできないとか、
聴き手をケアできていないという
問題を解決しないといけない。
そうならないために必要なことは一つだけ。
聴く人自身が、自分の心に寄りそい、
自分に誠実に生きる方法を知っていること。
それがあれば、
同じことを他の人にも提供することができる。
自分の心に寄りそい、支え、
自分がいつも自分の味方である聴き方が出来なければ
きっとその人は、本当の意味で
他の人の話も聴けてない人。
自分を大切にできる人だけが
他の人も大切にできる。
【この言葉を自分に言ってみよう!】
「自己犠牲=美徳という凝り固まった考えを解放しよう!」
基準は、
「それであなたが幸せかどうか?」
(相手ではなく)。
あなたがいま幸せであることが、
他の人の幸せにつなげる絶対条件です。
人の為に時間を使いたいな、
自分の為の時間を同じだけ取る。
人の為に心を使いたいなら、
自分の心を満たすことを同時にやりましょう。
それしか、人間関係が継続的に
うまくいく方法はないのですから。
<お知らせ>
継続的なよい人間関係の作り方を知りたい方は
傾聴1日講座にお越しください。
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http://bit.ly/2qvtDuo