悩みの深さというのは、
起きた出来事の大きさ自体が決めるのだろうか?
たぶんそうではないだろう。
・・・
先日、以前からお世話になっている
経営者の方にお会いしてきました。
一代で財を築き上げた、
会社を10個以上持っている方です。
自分にはない、想像できない
世界の話を聴くのはためになりますね。
その経営者の方、
20代で独立して、会社をつぶしてしまった
こともあるそうです。
ものすごい借金を負ったことも。
リーマンショックの時は、
3億円も借金を負った経験があるとか・・・。
「借金2億までは計算ができるが、3億越えた途端怖くて電卓をたたけなくなった・・・」。
さすがにその時は、
食事がのどを通らなかったそうです。
・・・
その話を聴きながら
「自分だったら、食事がのどを通らなくなるのに、100分の1の300万円も借金があったら十分だろうな」
と、思ったりして(笑)。
正直その話を聞いたとき、
少し安心しましたね。
こんなすごい人でも
食事のど通らないこともあるなんて、
同じ人間なんだな・・・と。
でも、そのとき同時に、
金額は100分の1でも、
その借金の持つ「重さ」は
さほど変わらないだろうな
とも思ったわけです。
・・・
誰かから悩み相談をさてたときに、
「何だ、そんな小さなことで悩んでいるのか・・・」
と思ったことはないでしょうか???
過去にその悩みを乗り越えてきた人や、
すぐに解決するための具体的な対処法を
すでに持っている人から見れば
そう思うのは当然でしょう。
具体的な方法をアドバイスを
してあげることで、
簡単に解決できるとわかっているなら、
教えてあげるのが親切です。
でも・・・、
ときどき、おかしなアドバイス(のようなこと)を
する人はいないでしょうか。
たとえば
「気にしなければいいんだよ」
「時間が解決してくれるよ」
「私の場合はこうだった」・・・。
それを言われても
「具体的に何を行動していいかよくわからない」
抽象的なアドバイスをされて、
困惑した経験はありませんか?
あるいは、困惑させてしまったことはないですか?
具体的なアドバイスと抽象的なアドバイス。
両者は何が違うかというと、
・具体的なアドバイス→即行動化できる
・抽象的なアドバイス→何をすればいいかわからない
「気にしなければいい」といわれて
気にならなくなるくらいなら、
はじめから相談なんてしないですよね(笑)。
悩みの深さや大きさというものは、
起きた出来事そのものに比例しません。
その人にとって、
「どれくらい重要な意味を持っているか」
「意味」の大きさできまります。
出来事は小さく見えても
「気にせざるをえないワケがある」
のです。
どうせ具体的な解決策が見当たらないなら、
ネガティブに考えるな!
とメッセージを送るのはやて、
孤独に悩んでいるその人の
気持ちのそばに寄りそう、
理解者になってみてはいかがでしょうか?
誰かの気持ちを理解して寄り添いたいなら
小さく思える悩みも、
小さく取り扱わない。
本人が感じているそのままの大きさで
受け止めてみましょう。
解決できない問題も、誰かに
寄りそってもらえたことで、
なんとか乗り越えることができた
という体験がある人であれば
そういう気持ちに寄りそう支援はしやすいですね。
そういう経験がない人はまず、
言われて、
「役に立たなかったアドバイス」
「腹が立ったアドバイス」
「かえって落ち込んだアドバイス」
の棚卸をしてみるのがいいかもしれません。
されて嫌だったアドバイスには、
きっとなにか共通点があるはずです。
<お知らせ>
小さなことは小さいまま、
大きなことは多きいまま、
相手をそのまま理解し受け止める聴き方、
傾聴1日講座。
来週は東京、再来週は福岡開催です。
↓
http://bit.ly/2qvtDuo