子どもの頃、泣いているときに人から慰めされて嬉しいかというと、意外と逆にみじめに感じたことがある。泣くというのはよくないことなのだろうか?
たまに週末、家にいるときは、
妻にかわって、6歳の息子の
そろばん教室の送り迎え担当になる。
授業が終わり、時間になっても
息子が出てこない。
ほかの子は、とっくに帰った。
窓から教室の中を覗くと、
息子がひとりで泣いてる。
先生がそばにいた。
そのまま、しばらく待っていたら
先生が出てきて、事情を説明してくれた。
問題解けなくて、悔しくて泣いてるらしい。
前回、進級テスト合格して、
問題がレベルアップしたのだそうだ。
泣いたまま、放っておきたいところだけれど、
つぎの時間帯のクラスの子たちが
入って来ている。
「帰るよ」
と言って、そのまま手を引いて
教室を連れ出した。
・・・
先生たちは、息子に
「ちゃんと、できてたよ」
と、優しく声をかけてくれた。
それもまた、母性的な優しさだろう。
でも、私はこう言った。
私「解けなくて、悔しかった?」
息子「・・・(うん)」
と、うなずく息子。
私「出来なきゃ、悔しいわな」
息子「・・・(うん)」
と、うなずく息子。
私「泣きたいだけ、泣きな」
手をつないだまま、
そう言って駐車場に向かった。
・・・
泣くのは悪いことだろうか?
止める必要があるのだろうか?
もちろん、
他人の子を泣かせてしまったと思ったら、
申し訳ない気持ちになるのも
分からなくはない。
でも、いじめられたとか
理不尽なことされたというのでなければ、
泣きたければ、泣かせておけばいい。
わが子なら(本来他の子でも)
悔し泣きさせておけばいい。
ワケがあって泣いているのに、
悔し泣きを止めようとしたら、
子どもはそのうちに、
「泣かないためにはどうするか?」
考え始めてしまう。
そして、それが進むと、
「泣かないためには、はじめから悔しい思いをしないようにする」
つまり、何も本気でやらない
知恵を身につける。
やる前からあきらめて見せる子になる。
泣くのを止めたら、子は淡泊になる。
泣きながら、出来たいところまで
させればいい。
私「悔しかったら、つぎ先生によく教えてもらいな。できるようになるから」
そういったとき、
息子からは何の反応もなかった。
でも、きっと聞いていたに違いない。
あとは本人がどうするか決めればいい。
そしてまた
悔しいときがあったら
泣きながらやればいい。
・・・
悔しさに限らず
泣くのには訳がある。
カウンセリングをしていてもそう。
他に「安心して泣ける」場所すらない人もいる。
大人になると、なおさらだけれど、
泣くというのは、誰の前でも
できることでもない。
泣ける関係と、空間があることに
価値があることが多い。
泣きたければ、泣けばいい。
それもまた、その人の自由な感情。
・・・
車に乗ってテレビを見始めたら、
さっきの(涙)はどこに行ったのだろう?
息子はすでに大笑いしている。
感情はあとから振り返って受け止めることができない。
いま出ている感情は、いまここで受け止めるしかない。
【この言葉を自分に言ってみよう!】
「感情にいい悪いのラベルを貼らない」
いい悪いのラベルを貼った瞬間に
愛は、無条件の愛から
条件付きの愛に変わってしまいます。
<お知らせ>
感情にいい悪いのラベルを貼らずに、
そのままを理解し受け止める
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