いつもありがとうございます。
冷やし中華にはチャーシューよりもハムがいい、岩松正史です。
自宅の書斎で仕事をしていると、
6歳の息子がリビングから
トコトコやってくることがよくあります。
仕事中なので
「今忙しいから、かまえないよ」
と、そっけなく断ることもありますが、
余裕があるときは。
おもちゃ出したり、
話したりして楽しいんでいます。
来た時に、
「どうしたの?」
と、息子に訊くと、
だいたい息子はいつも、
悪びれる様子もなく
「ただ来ただけ」
と答えます。
その
「ただ来ただけ」
を聴くと、ものすごく嬉しくなるのです。
・・・
息子のその言葉を聞くたびに、
日常生活を振り返ってみると、
「理由」とか、
「意味」とか、
一生懸命考えすぎなのかな?
と気づかされます。
理由も原因もなくて
「ただやってみたいだけ」
「ただ何となくやりたくない」
ことって、たしかにありますよね。
もしあなたが誰かから
「ただ、会いたくなって」
「ただ、声を聴きたくなって」
なんて理由なんてなくて、
言われたら嬉しいでしょう。
「ただ」という程度しか、言葉で言い表せない。
そんな気持のほうが、
気持ちのレベルで見たら、
もしかしたらむしろ深くて、
本当の気持ちのような
気がするのでした。
・・・
「ただほど高いものはない」
といいます。
それは、タダで何かもらった後に
なにかよくないオマケがついて来る
という比喩ですが、
「ただほど、レベルが高い気持ちはない」
と思えば、
「ただ」はそのままありがたく
受け取っておくのがよさそうです。
いかがでしょうか?
これをお読みいただいているあなたは
「ただ、何かをしたくなった」
「ただ、なんとなくしたくない」
そんな気持ちになったことはありますか???
【この言葉を自分に言ってみよう!】
「ただがいい」
私は、そんな正直な息子のことが
ただ、ただ、好きなのであります。
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