親切の弊害にならために


いつもありがとうございます。

新しい傾聴ボランティア先を開拓中の、岩松正史です。

・・・

最近個人も企業もボランティア活動への
参加が盛んになってきました。

行政だけでは生き届かないところを
自主的にみんなで支えあるのは素晴らしいですね。

一方で、

ボランティアにまつわる話で
気になるのが

「親切心の弊害」

です。

以前こんなニュースを見ました。

広島の原爆の日になると
全国から大量の千羽鶴が
現地に送られてくるのだそうです。

その職員さん曰く、
みなさんの気持ちは嬉しいけれど、
保管と処分に非常に苦労していると。

親切心はありがたい、
全員に忘れ去られてしまうのも悲しい。

でも、親切心のために
困る人が出てくるならそれは
本当に親切なのか考えさせられました。

また、こんな話もありました。

災害が起きると被災地に親切心から
大量の食糧や衣料品が送られてきます。

確かに食べ物や衣料品は
緊急時にないと困りますが、

無計画に送られてきた物資の
保管と管理に信じられない労力が必要となり、
現地の人が悲鳴をあげていました。

親切心で送られてきたものを
片づけるためだけの
別の親切心(ボランティア)が
必要になっていました。

心配だから送るだけというのは
本当に親切なのか考えさせられました。

思い立った瞬間、
やらないよりはやったほうがマシ
という理屈がある反面、

誰かを支援しようとすることで、
別の誰かに苦労をかけているなら、
それは本当の親切と呼べるのか?

自己満足ではないか?
考えてみてもよさそうです。

本当に親切をしたいなら・・・。

それをすることによるいい面と、
悪い面の両方に配慮しながら
行動しないと本当の親切にはなりませんね。

・・・

例えばこんな話に似ています。

友達の誕生日を祝ってあげようと、
サプライズで大量の食材を買い込んで
友達の自宅に行ってあげた。

そこで料理を振舞ってあげ、
みんなで大騒ぎをして祝ってあげた。

友達は来てくれたこと、
祝ってくれたことを喜んだ。

でも最後、片付けをせず、
大人数分の食べ残しと汚れた食器を
そのままにして帰宅してしまったら、
どうでしょうか?

最後までやるなら親切。

途中までならありがた迷惑かもしれません。

祝ってあげなよりは、
祝ってあげた方がマシ
ということにはなりません。

親切心があるから、
あるいは愛があるからいい、
ということにはなりませんね。

・・・

いま書いていて思ったのは、
親は子供を愛しているのに、
その愛が伝わらないのは、

子どもが愛して欲しいように愛しておらず、
自分が愛したいように愛しているだけだから
というのにも似ている気がします。

1.相手から求められてから満たす
2.いいことをしたいなら後片付けまで責任を持つ

この2つに気をつければよさそうです。

でも、相手にとって親切とは何か?

一つの親切により、
別の困る人が出てこないか?

まだ求められていない親切をするなら、
最後まで責任を持つ覚悟はあるか?

一旦、立ち止まって
考えてみるとよさそうです。

これをお読みいただいている
あなたは、親切な人ですか?

それとも、

「自分は親切な人」

と思いたいだけの人ですか?

そこを自分の中で確認できると
本当の親切が出来るようになれそうです。

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