傾聴の「あいづち」は入れない方がいい

いつもありがとうございます。

きのうはマクドナルドに6時間しかいなかった、岩松正史です。

傾聴のトレーニングで
あいづちを入れる練習は
オーソドックスな練習法の一つです。

その前にあいづちを使った
ページングの練習をしながら、
同じタイミングで
感情を表すワードをくり返して
入れていきます。

この練習法は、
練習法としてはいいのですが

くり返し入れること自体が
目的ではなくて、

あくまで練習のプロセスです。

目指したいのはあいづちを入れるのではなく、

「あいづちが出る」

レベルです。

・・・

昔から傾聴のトレーニングをした人が
あまりにも「応答を入れよう」という姿勢に出会うと
よく違和感を覚えます。

「私は今、くり返しをしていますよ」

という明らかな姿勢には
普通じゃないという印象しかなく
ぎこちなさしかありません。

そして

私自身、何年もそのような
くり返しをしてきました。

今はどうかといいますと
おかげさまでくり返しを
入れようという意識はなくて、

話し手にとって意味や価値を
表す言葉とこちらが感じた時、

「●●なんですねぇ~」

と、相手と自分に確認をとる作業の一部といて
くり返しが出る感じです。

長めのくり返しや伝え返しも同じです。

その人が置かれている状況を
ありありとイメージしながら、

その人が感じているだろうことを、
こちらも感じとれたとき、

「●●と感じていらっしゃるんですかねぇ~」

「話し手が感じていること」

と、

「話し手が感じていると、聴き手である自分が感じていること」

が近いか?同じか?

確認をとる感じで、

「くり返しが出ている」

という表現が一番近いです。

無意識に出ているわけではないですね。

感じていることを確認したいときに、
必要があって出る感じです。

「くり返しを入れよう」

とする人はきっと

「この単語は気持ちを表す単語だと思うのでくり返そう」

と、くり返す行為を一生懸命
頭で考えて応答しているのではないでしょうか。

私も考えはしてはいるのですが、
私が考えているのは

「この単語がくり返しとして正しいかどうか」

ではなくて、

私が、
話し手が感じているのではないかと
感じ取ったニュアンスと、
本当に本人が感じているニュアンスが
どれくらい近いだろうか?

と考えています。

くり返す単語として
正しいのだろうかかと考えているのか

それとも、

どの様な表現が聴き手である
自分の心に響いているか注目し、

受けとった感覚が、
話し手が感じているものと
同じか?近いか?を考えるのか。

前者ではあいづちは
「入れる」になり、

後者では必要があって
「出ている」になる。

そんな違いがある気がします。

物体としての相手を見るより
相手と向き合っているときの
自分の心に目を向けると、

くり返しという一見同じに見える
行為でも質がまったく違うものになります。

いかがでしょうか?

あなたはくり返しを
「入れて」いますか?

それとも、

くり返しが「出て」いますか?

<お知らせ>

入れるあいづちがいけないのではなく
練習のステップとしては必要です。

順序通りくり返しの基本を
身につけたい人のための
傾聴1日講座は

5月24日(金)
飯田橋で開催です。

http://bit.ly/2qvtDuo

<<編集後記>>

昨年の9月に会社がある千代田区内に
傾聴ボランティア団体を立ち上げて
早8ヶ月が経ちました。

今日は月1回、2箇所ある
訪問先のうちの一つに伺います。

月末から新しいボランティア先が
増えるかもしれないので、
これからも千代田区に、そして日本に

ちゃんと聴ける傾聴ボランティアを
増やしていきたいと思います。

今日もいい一日をお過ごしください!



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■傾聴の参考になる動画
心理学的な傾聴の説明をゆっくり学べます
→ 諸富祥彦の傾聴のねっこ(動画)

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