傾聴を初めて知ったとき、
傾聴とは、
①ききたくない話を上手に我慢する方法
と思っていた。
それからしばらく触れてみたら、
②相手を気分をよくさせる方法
に思えてきた。
相手の気分が良くなれば自分も気分良くなりききやすくなると思った。
そのあとしばらくして、
③理解された人の喜びに触れ、聴く大切さ
を知った。
最近では、
④いま口を開いてしまったら勿体無い
と感じることが多々ある。
喜べるような話でなくても、自分以外の人間の心の中を惜しみなく覗かせてもらうことができるとはとても有難い。
当たり前のことだが本人にとってはすべてがフィクションではなく本気だからこそ、そこから見えてくる世界は実に面白く興味深い。
口を挟んで中断させてしまうにはあまりにも惜しいと感じるときがある。
(感じないときもある)
結果と原因の必然性から考えると、「興味が持てるからきける」だけではない。
聴くという姿勢を作ることから興味が湧いてくるという世界が確実にある。
興味が持てないからきけないと思い込んでいませんか?
思い込みのフィルターを外せば、自分のために聴けるようになります。
・頑張らない人は頑張る人に叶わない。
・ひとりで頑張る人は、他人のことを考えられる人に叶わない。
・他人のことばかり考える人は、楽しんでいる人には叶わない。
楽しむとはまさに「自己満足」。
自己満足がはしたないと思う人は、本当に聴くことはできない。
8月30日に聴き方の型を作る
傾聴1日講座を開催します。