「きく」にうるさかったワケ

5,6年前まで妙に

「聴く」と「聞く」のちがい

にこだわっていました。

傾聴の講師だから

当然といえば当然かもしれませんが、

いま思うとかなり神経質でしたね。

傾聴のスキルの上達や、

傾聴に必要な感性を磨くことよりも、

言葉の定義が気になり

他の人が発する言葉じりに

目くじらを立てていました。

それが、

本を書いてからどうでもよくなりまして。

人間というのは自分の都合で

コロコロ態度を変えて身勝手ですね(笑)。

なぜどうてもよくなったのかと

考えてみたらわかりました。

一昨年書いた著書の中で

頻繁に聴くと聞くの違いを

使い分けなければならなかったのですが、

考えれば考えるほど、

「聴くと聞くの違いは明確には区別できない」

ことわかったのです。

「なんだぁ、どうせ考えても明確にはわからないだぁ」

とわからないことが「わかった」ら、

以後どうでもよくなってしまいました(笑)。

「わからなくてもいい」

という感覚が少し持てたことで

気分がだいぶ楽になり

以前のように目くじらを

立てることがなくなったんですね。

以前の私は、

傾聴講師であるにもかかわらず、

2つの違いについて

ちゃんと説明できない自分に

腹を立てていました。

つっこまれたらイヤだなとおびえてながら

知ったかぶりをしていたんですね。

ところが、

「この件については明確にはわからない」

とふに落ちたら、

次に他の人からも

「わかってもらえなくてもいいや」

と思えるようになりました。

わからない状態であるという

不完全な自分を受け入れたら、

他人が私に対して不完全な見方を

するのもかまわないと

思えるようになったから不思議です。

そしてさらにめぐりめぐって、

「他人が私を理解できない」

という事実を受け入れられたことで、

「他人から理解してもらえない自分」

でもいいと思えるようになりました。

・・・

きっと昔はいまよりももっと

「不完全な自分を」責めていたんでしょうね。

そして、

不完全な自分を責めていたからこそ、

不完全な他人を見ると攻撃(口撃)

したくなったのだろうと今は思います。

人は自分を責めている分だけ他人を責め、

自分を受け入れた分だけ他人を受け入れられる。

そんな生き物のような気がしますが

いかがでしょうか?

ききたいよう(聴?聞?)に

自由にきけばいいでしょう。

【この言葉を自分に言ってみよう!】

「相手の言動に腹が立つのはなぜだろう?」

その理由は自分の中に必ずあります。

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「自由にきけばいい」といわれても
そもそもきき方の形がわからないと思う人は
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