「量産機になるな」
いつの頃からだろうか、
こう書かれたポスターを
地下鉄内でポスターよく見るようになった。
アニメの専門学校の宣伝チラシのようだ。
きっとアニメ好きの若者がこれを見たら、
目を奪われることだろう。
なぜなら、
ポスターにかかれた
「量産機」の言葉は、
私が子どものころに好きだったアニメ
ガンダムに出てくる言葉だし、
そこに描かれているロボットの絵も
ガンダムに出てくる主人公が乗りそうな
特別なロボットにどこか似ていたるから
興味をそそらないわけがない。
そのポスターから私は、
「人と同じではない個性を出そう」
というメッセージを受けとり共感した。
しかし
共感と同時に、
同時に別の感情が湧き出てきた。
「人と同じかどうかに意識奪われている時点で、すでに個性的ではないのではないだろうか?」
という思いが。
・・・
本当の個性とは何だろう?
私はこう思う。
それは、
量産機だろうが特別機だろうが関係なく
俺は俺
私は私
と思えたら、
それこそが個性的だろうと。
人と比べた先に個性はない。
そんなことを思いながら、
頭の中では東京ドームの野球中継の場面を想像し、
そこにいる選手18人のプレイヤー全員が
イチロー選手(特別機)だけだけなら
どうなるだろうかと妄想した。
イチロー選手だけの野球はきっと
はじめは面白くても
毎日それだけ見ていたら
きっと面白くないだろう。
それにもし、
グラウンド中イチロー選手だけしかいないなら
それはすでに量産機なのではないか?(笑)。
・・・などとくだらないことを考えた。
そもそもどんなに個性的に言える人でも、
何もない0のところからいきなり生まれてくるるものではない。
必ず誰かのコピー(量産)から生まれる。
どんなに固定的な天才画家も、
絵を描くという行為は誰かがしている行為に似ているし、
来ている服も、もっと言えば服を着るという行為自体も、
どこかの誰かにいているはずだ。
(そろそろ妄想が過ぎるだろうか)
個性の始まりは憧れの人との出会いや、
何かを上手にやっている誰かを
真似することから始まるではないか。
だから量産が個性的でないともいえない。
いろいろなことをぐるぐると考えながら、
たどり着いた結論は、
個性的であろうと考えた時点でそこに個性はない。
ということ。
個性について考えるのはやめたほうがいいと思う。
自分が感じたことに素直でさえいれば
出てきた成果物が他人と同じように見えても、
それはやはりその人の個性なのだから。
・・・
ありきたりな表現かもしれないが
個性的であろうとすることよりも
すでに自分は個性的であると
認めさえすれば、人はいつでも個性的になれるだろう。
【この言葉を自分に言ってみよう!】
「私はもともと個性的だ」
ポスターを見た若者たちにぜひ
このようにいって欲しいものだと思いながら電車を降りた。
・・・
ちなみに、
私は小学生のころガンダムに出てくる
ザク(量産期)のプラモデルをこよなく愛していました。
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