許せないことがあれば頭にきて怒りもするし、失敗をすれば落ち込んで沈むこともある。
先日4才の息子が度目の肘内症になったときは、前の2回より回復の速度があまりに遅いので、この子の将来を案じて数日間不安を抱えてもいた。
こんな子供のけがのように原因が明らかであればわかりやすくてまだいいが、とくに原因がみあたらない不安に襲われることもある。
漠然とした不安
というやつ。
一日中気分が乗らないという日が、何日も続くこともある。
これは少々厄介。
顕在化されていない不安なので、丁寧に自分の内側を見つめていかないと解決の糸口がつかめない。
一つ一つはとるに足らないような小さな出来事たちが、ある瞬間に塊となって不安として表れてくることもある。
そんなときは、自分の内側を丁寧に見つめてみることにしている。
「丁寧に内側を見つめる」というのは、原因が何かを考えることではなく、ある一定の条件が満たされた時の状態を具体的にイメージしてみること。
たとえば、不安の原因は不明なのだけれど、
「いますぐ、100万円現金が入ってきたら、不安の形は変わって見えるだろうか?」
「いますぐではなく、10年後に年収が今より1000万円増えていたら、消える不安だろうか?」
「お金の問題ではなく、子供たちが無事に成人できていれば、軽くなりそうな不何なのだろうか?」
という風にまずは、過去に漠然とした不安を引き起こしていた事象(お金、子供の健康・・・)を当てはめて、そこに場面設定をして(今すぐ増えている。子供が大きくなっている)、今の気持ちに変化を感じられそうかを照らし合わせていく。
不安をなくそうとするのではなく、不安が何に関係していそうかをただ探す。
そしてもし、今感じている不安が「子供たちが成人するときまで、無事に育て上げられるか不安」ということと関連していそうだとわかっても、成人するのは10年以上先の事だから、今すぐ解決することなんてできないが、「今感じている不安は、そのことと関係していそうだなぁ」となんとなくわかるだけで、結構気持ちは落ちついたりする。
いますぐ物理的に解決できることへの不安ならまだしも、変に不安をなくすそうとすると、かえって不安に追いかけられることになる。
本当か嘘かは知らないけれど、山で熊に遭遇した時は走って逃げようとすると追いかけてくるが、じっと目を見つめて睨んでいる方が襲われる確率が低くなるなんて言う話を聞いたことがある。
もしそれが事実なら、不安とのつきあい方もそれと似ている気がする。
逃げようとしたり、なくそうとするのではなく、ただじっとその中に身を置きながら見つめ理解するだけで漠然とした不安の形は変わって見えたりする。
そしてどんなに内面を見つめてもわからない不安は、
「よくわからないけれど、不安になりたいのね」
と自分に一度言ってやって、そのままほっぱらかすことにしている。
不安にとらわれてはいけない。
追伸
傾聴は人の話を聞く方法と思われがちですがちがいます。
聴く役の人自身が、自分の心をちゃんとけただけ、
他の人の話もちゃんと聴けるようになるのを助ける技術でもあります。
自分の心の声の聴き上手は、
他人の心の声の聴き上手。
そんな聴き方を学びたければ傾聴1日講座にどうぞ。
次回は来週7月2日木曜日です。
週末開催は7月18日土曜日です。
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