日本史が嫌いで、高校のときは世界史を選択。
そんな日本史に疎いわたしが、この歳になって、
坂本龍馬についてほんの少しだけ
わかるようになってきました。
きっかけは、たまたまネットで見始めた
「JIN(仁)」という歴史ドラマに
ハマったことがきっかけです。
歴史を知ろうと思って見始めたわけでもないで、
うろ覚えのことばかりですが、
それでも、何度も繰り返し見ているうちに
竜馬について少しずつ知識が増えてきました。
例えば、
竜馬が最後、暗殺された場面や時期についてです。
(竜馬は・・・)
・京都の近江屋で殺害された・殺害されたのは、竜馬の誕生日(11月15日)
・暗殺が行われたのは深夜0時過ぎ
・近江屋の2階にいたが、騒動が起こり外に出たときに殺害された
・刀で頭(額)を切られた
・・・
私の頭に最初に入った情報はこのようなものなのですが
おそらく歴史に詳しい人がこれを見ると、
「そうそう」と納得する部分と、
「違うよ」と思う部分があるのではないでしょうか。
なぜなら、私の知識はあくまで
「ドラマの中の竜馬」であり、
実際の史実や定説とは違うものが含まれているからです。
なぜ「事実と違う」とわかったかといいますと。
ドラマをきっかけにして、
少し竜馬に興味が出たので、
Wikipediaで近江屋事件を調べてみましたからです。
すると
・京都の近江屋で殺害された →〇(その通り)
・殺害されたのは、竜馬の誕生日(11月15日)→〇
・暗殺が行われたのは深夜0時過ぎ
→0時を過ぎていなかった可能性がある。
・近江屋の2階にいたが、騒動が起こり外に出たときに殺害された
→竜馬が暗殺されたのは、外ではなく2階
・刀で頭(額)を最初の一撃で切られたのが致命傷
→額は最初の一撃で切られたが、その後、後頭部、背中、そして再度、額を深く切られたようだ。
ということがわかりました。
これもwikipediaの情報なので
すべてが正解かわかりませんが、
いまのところそのように理解しています。
・・・
何かを知るときに
はじめから100%正確な情報がわかれば一番いいわけです。
でも史実にしろ、ビジネスの情報にしろ
100%と言い切れるものというのは
むしろないのではないでしょうか。
そんな確実なものがない状況でも、
物事への理解を深めていくためには、
次のような方法がいいのだと思います。
1.まずは、不正確かもしれないけれど、興味を持ちやすいところから入り一つの柱を持つ(ドラマを見た)
2.それに関する他の情報と比較して、類似点と相違点を知る(wikipedia)
3.それを繰り返す
このようにすることで、
入り口のハードルは低くなり、
類似点はより確実な情報として理解され、
相違点は「違う」とわかることで
また、理解が深まるのではないでしょうか。
このように物事の理解は、
「同じであること」がわかると深まると同時に
「同じではないこと」がわかるとまた
深まるのであります。
なので、先ほど書いた
・「柱」は、類似点と相違点を知るためのタダの入り口。
・「類似点」は、確信を持つための材料
・「相違点」は、知識を広げ深めるための材料
となります。
この原理は人間理解にも通じると思うのですが、
なぜか人を理解するときに人は、
そのようにはしていないような気がしませんか?
・「柱」=自分の意見は、入り口ではなく「結論」として押し通し
・「共通点」がある人(考え)だけを受け入れて
・「相違点」は口撃や否定するための材料として使う
・・・そんなことはないでしょうか???
「自分と違うことはありがたいこと」
そう思えると、もう少し違う理解の仕方ができ、
それが本当は、真実に近いもののような気がするのは
私だけでしょうか。
【この言葉を自分に言ってみよう!】
「自己肯定感が低いと、違うものを否定したくなる」
自分との関係をよくすることで、
他人と関係が良くなるでしょう。
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