エゴに気付く

わが家は2階にリビング、

1階に玄関と洗面所があります。

週末の朝、仕事に行こうと洗面所で支度をしていたら

ドタドタと2階から

降りてくる足音が聞こえてきました。

11歳の娘です。

まだ6時過ぎ。

平日、週末関係なく、同じ時間に起きる姿が

オヤジ(←私)に似ているなぁ

なんて思いながら、

「おはよう。お父さん仕事行くから」

と声をかけたら。

「はいはぁ~い♪じゃあねぇ~」

何やら上機嫌です。

娘は、自室から何かを取り出すと、

そそくさと、

再び2階に上がっていってしまいました。

その時思いました。

「何をしてるのかはわからない。でも、幸せそうだと分かったのでそれでいいや。」

・・・

こんな風に、楽しい話は

いちいち何について楽しんでいるか?

対象となる事柄はわからなくても、

スルーしやすいわけです。

でも、実は、楽しい話だけでなく、

悩みや苦しみも、

事柄を確認しても、仕方ないことがよくあります。

「どんな事柄に苦しんでるか」より、

「どう苦しんでいるか?」

あるいは、

「なにが、そこまで苦しまざるを得なくさせていているか?」

心情的な事実(気持ち)

がわかればそれで十分・・・

といいますか、

それ以外のことをやると「余計」だったりします。

例えば

「なにをしてるの?」と、

事柄の事実を質問されても、

娘は別に嬉しくないでしょう。

それに応えれば、お父さんを納得させるために

「説明させられた」だけです。

また仮に、

「折り紙を折っていた」としましょう。

「折り紙を折っているんだね」

と、事柄をくり返しされても

娘は別に嬉しくありません。

こちらのエゴで言って、

満足しているだけなのです。

どうしても何か声をかけたいなら、

「楽しそうだね」

くらいは相手に害なく、

こちらの言いたい欲求は

満たせるかもしれませんが、

それにしても、

感想を言われただけなので、

別に娘は嬉しくないでしょう。

つまり、

「コミュニケーションスキルを学ぶ」

というと何か

「周りの人によき影響を与えたい人なんです。私は」

みたいな印象がありますが、

実は違うのではないでしょうか。

ストレートに言ってしまえば、

「ただ、こちらが言いたいだけ」

「ただ、やりたいだけ」

自分の欲求を満たしたしているだけ

ではないでしょうか。

誤解されないように言いますが、

それが、いけないとも思いません。

ただ、「相手のため」と言う偽善は捨てて、

「自分が満足したいだけなんです」

と正直であれば、それでいい気がします。

かくいう私も当然、

人に何か「言う」ときがあります。

その時は(そのあとも)、

「相手のためにした」

とは思いません。

「自分の欲求を満たしたかった」

と認めると、相手からの反応が

期待したものでなくても

相手を責める気持ちが出なくなりました。

・・・

話がそれましたが、

もし、娘をそのまま認めわかってあげたいなら、

声をかける必要などなくて、

ただ楽しそうだなぁとながめて、

邪魔をせず、さえぎらず、

そのままなにも言わずにいてあげることが、

もっとも相手を大切にしていることで、

お互いがハッピーでいられる方法でしょう。

相手がわかって欲しいと思っていない時まで、

相手のことを分かろうとするのは迷惑ですね。

自分のエゴに気付き、認めると

人間関係は良くなります。

エゴは誰にでもあるもので、

悪いものではありません。

エゴがある自分も自己否定しませんように。

【この言葉を自分に言ってみよう!】

「わかってあげるとは、ときに見守ること」

「自分ごと」と「相手ごと」の

境界線を明確にできると、

人間関係は楽になりますね。

<お知らせ>

相手を知る前に、自分を知ると

境界線は引きやすくなります。

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