こまかい言葉が気になるたちで・・・。
傾聴界の杉下右京を目指したい!
とは、思っていませんが、
言葉のもつ重みというのは、日々ひしひし感じます。
最近特に耳につくのは、
仕事から帰宅したときに、
「ただいま!」と小学5年生の娘に声をかけると、
「どうも、どうも」
と、
「おかえり!」とは言ってもらえないことです。
「どうも、どうも」は6文字。
「おかえり!」は4文字。
おかえりという方が楽だと思うのですが・・・。
正直言って、ちょっと気に入りません。
お帰りと言って欲しいのです。
娘にもそう伝えるのですが、
親と距離取りたい年頃のあらわれなんですかね。
娘のことは何でも知りたくても
よくわからないことが多い今日この頃です。
・・・
話は変わりますが、
先日、夕方前に玄関脇にある自宅の書斎で
仕事をしていたときのこと。
「ピンポン!」と呼び鈴が鳴りまして。
小学校からすでに帰って来ていた娘の元へ
友達が遊びの迎えに来ました。
外に遊びに行く約束をしていたようで、
娘はすぐに友達と玄関から出て行きました。
そして、玄関を出るとすぐに
娘は友達に話し始めました。
「きのうの夜、こんな夢見てさ。超面白かった!」
私には話すことがない、夜見た夢の話を
あたりまえに、友達に話しているのでした。
それを聞いて思いました。
「そういう話は、お父さんにも話して欲しいんだけど・・・」
「友達はいいな・・・。私が知らない娘の話を聴けて・・・」
と、ちょっとうらやましく思いました。
でも、考えてみると自分だって子供の頃、
なんでも親に話していたわけではないのに、わがままですね。
・・・
「家族(パートナー)だから何でも話そう」
という人がいます。
そうできるなら、それは素晴らしいです。
でも、たとえ家族や恋人であっても、
人間関係を使い分けるといのも
ありだと思うのです。
言わないことで自分を守ったり
相手を傷つけたくないという気持ちも
尊重されていいだろうと。
たしかに、娘のことは何でも知りたいし、聴きたいと思います。
でも、話を聴く事より、もっとやりたいことがあります。
それは、
娘とたくさん話をして「知る」のではなくて
話したくない気持ちまで全部含めて
認め、受け止めるて娘をわかってあげられる
存在でいたいと思うのです。
もちろん、気持ちを「わかる」ためには、
言葉でやり取りすることもあります。
でも、言葉のやりとりがない状態から、
相手を「わかる」こともできます。
・お父さんには、その話はしたくないという気持ちがわかる
・「どうも、どうも」と言いたくなっている気持ちがあることがわかる
「知りたい、知りたい」が強すぎると
相手をわかりたいふりをして実は、
「私を納得させて」
と、こちらの欲求が、強すぎるだけなのかもしれません。
こちらが納得できなくても
相手の気持ちを認め、受け止めて
「わかる」ことはできます。
(やりたいと思えばですが・・・)
【この言葉を自分に言ってみよう!】
「『知る』のではなく『わかる』」
お父さんには何が話したくて、
何を話したくないかわかった。
友達とは、違う世界を
共有できていると分かった。
そして、何より
家にいるときとはまた違う雰囲気で
楽しそうに話している娘がいると分かった。
それだけでもう、十分。
娘の夢の話が聴けなくても、
満足できている自分がいることが「わかり」、
心は、もう十分満たされたのでした。
「わかる」と満たされるのであります。
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