はじめての子である娘が
生まれてしばらくたったとき、
赤ん坊だった娘の寝顔を見ながら、
妄想したことがある。
「もし娘が10歳くらいなったある日、急に1か月後に自分が死ぬとわかったら、残りの時間をどう過ごしたいんだろう?」
その時の答えは、
「1か月、家族全員に会社や仕事を休んでもらうよう、ひと時も離れず、ずっと一緒にいてもらうように頼もう。」
だった。当時は、
「家族というものは、一緒にいてこそ価値がある」
と思っていた。
娘から、ひとときも離れたくなかった。
あの妄想から10年以上。
11歳になった娘は、毎日友達の家とわが家を
行き来しながら楽しそうに過ごしている。
その姿を見ていると、
むかし見たあの妄想が、いかに浅はかであったか。
反省する。
10歳を超えた娘と、一か月も
ずっと一緒に過ごしても
何もすることもないだろう。
一か月どころか、
1日一緒にいても、
途中で話題が尽きてしまいそうだ。
娘には娘の人生があり、
仮に私は一か月後に死ぬとしても、
それは私の人生だけのこと。
家族とはいえ、過度に他人を
巻き込んではいけない。
それは、愛を伝えているようでいて、
実は、愛して欲しいと依存しているだけ。
特に子供に限って言えば、本来、
いつも親と一緒にいるよりも、
家にいないでいてくれた方が、
あるいみ親としての役割を
しっかり果たしているともいえる。
親が子育てをするのは、
面倒を見てもらうためではなく、
自立を助けるためなのだから。
保育園の頃は臆病で、
一人で公園の遊具で遊ぶことすらできなかった娘。
いまでは勝手に一人で出かけて行き、
友達と遊べるようになった。
いまは確信している。
もし、一か月後に自分の人生が終わるとしても
一か月も一緒にいて欲しいなんて思わない。
むしろ、いままで通りと同じ、
あたりまえの日々のままで
過ごしてくれるなら、
それが一番、幸せだろうと。
ずっと家で一緒にいるよりも
娘は家にいないほうがいいに決まっている。
・・・
私の考えは10年前と180度変わった。
でも、それがいけないというわけでもない。
言うことは180度変わっても、
「いつも自分の気持ちに正直に」
という、大切にしている
想い方の軸は、変わっていない。
人が何かを変えるのは、
その裏に、変えたくない何かがあるからなのだろう。
【この言葉を自分に言ってみよう!】
「心の季節は移り変わっても、今日も私はここにいる」
日々、移り行く自分の心を眺めることは
四季の移り変わりを眺めるのに似ていて、
なかなか楽しいものです。
あなたの今日の心は、
どの季節でどんな景色が見えますか?
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