気になっても行動できないことがある。
それはいけないことなのだろうか?
・・・
通勤電車の中に、虫がいる。
ハチに似ているが、ハチではない。
「アブ」だろうか?
虫についての知識が乏しい私には
到底わからない。
ただ、可愛くはない。
飛んでいない。
足を引きずりながら、こちらに近づいてくる。
その虫は、狭い車内に迷い込み
きっと大変だと思う。
救いたい気もするが、混んだ電車の中
得体がしれないから、触るのは怖い。
しかも私は椅子に座っている。
わざわざ立ち上がって、
得体のしれない虫を助けるのか?
仮に拾ったとして、その後どうするのか?
虫は、私の方に近づいていたが、
途中で方向転換をし、
左の方に2メートルほど歩いていった。
そこでモジモジしている。
電車はいま走ってる。
立っている人たちは、
吊革につかまっていてさほど動きはしない。
虫はまだ踏み潰される可能性は低い。
でも、駅に着いたら・・・。
多くの人が動き出し、出入りしたら、
どうなるかわからない。
そんな状況。
私が次の駅で降りるなら、
その際に、それとなく退避させることが
出来るかもしれない。
でもまだ、降りない。
奇妙な虫のためにわざわざ
立ち上がる勇気がない。
助けられれば一番いい。
でも色々な思いが絡み合って、
動きたいような、
動きたくないような気がする。
・・・
ついに次の駅に着いた。
人がたくさん動く。
私はソワソワ2m先の虫を凝視する。
踏まれそう・・・。
ヒヤヒヤする。
でも、つぎの瞬間、
誰かの足に軽く触れた途端、
虫は飛んだ。
「なんだ飛べるんかい!」
傷んだ体を引きずっていたから、
余裕ではなく、渾身の力振り絞って
飛んだだけかもしれない。
虫を飛び立って視界から消えた。
開いている扉とは反対方向に飛んだので、
まだ外には出ていない。
見えなくなったので、いったん気にするのをやめた。
・・・
次の駅で私は降りようとした。
まだ、近くにいたら逃がしてやろうと
先ほど飛んでいった方に目をやった。
パッと見いなかった。
一瞬、立ち止まり2秒ほど見回したがいなかった。
とりあえず、死がいがないことに
安心してその場を立ち去った。
もっとしっかり探す気ははなかった。
あとは、無事であることを祈るしかない。
そして私は知っていた。
無事でも、無事でなくても
3日もすれば忘れてしまうことを。
虫に同情に、虫を本気で助けなかった経験から
私は2つの自分を確認した。
1.良くても悪くても、人生には祈るしかできないことがある
2.人間はすぐに忘れる生き物だ
私はそれを反省する気がない。
それでいいと思っている。
出来ることは出来るだけやろうと思う。
でも、出来そうな気がしても、
実際には行動に移すまで、
心が動かないときもある。
「やったほうがいいこと」
は、世の中に山ほどある。
限られた人生の中で、
それらがすべてできるわけでもない。
出来ない自分を受け入れることで、
今日という日が、元気に暮らせたりする。
電車を降りた私は、
目の前に広がる、今日という現実に
しっかり目を向け直して
前を向いて歩き始めた。
私という小さな人間は、、
自分が元気で生きることに精一杯。
ほかに気を使う余裕がないことが多々ある。
でも、私さえ元気でいられれば、
タイミングが合ったときには
人を助けられる自分であることを知っているし、
これからもそうだと自分を信じている。
私は、出来ない自分を受け入れなければ、
誰かのためになることも、
考える余裕すらない人間。
でも、それが事実なら、
いいも悪いもなく、
わたしは私のままでいればそれでいいだろう。
自分を責める人は他人を責める。
自分を無条件に認める人は
他人も認めらことができる。
ならば、責めるより
認めるほうがいいみんなのためにいい。
【この言葉を自分に言ってみよう!】
「出来ない自分を責めても、出来るようにはならない」
別の誰かを認めたいなら、
まず自分のことから認めるのがおススメ。
自分を認めた分だけ、
相手も認められる聴き方、
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