傾聴風味にならないために



どうせ何かするなら、ニセモノよりも、

本物を目指した方が本当の良さがわかり、

ためになるのではないだろうか。

・・・

学生時代、コンビニでアルバイトをしてた頃、

生に近い「にぎり寿司」が登場した。

それまで、おにぎりや納豆の

手巻き寿司くらいしかなかったので、

「コンビニもここまで進歩したか!」

と妙に感動した。

そこには「数の子」まで入っていた。

でも、パッケージをよく見ると、こう書いてあった

「数の子風」と。

見かけは立派でも、中身は人工数の子だった。

・・・

日本で傾聴というと、

「たくさん話すと、スッキリするから大切だよ」

などという。

でも傾聴の祖、C.ロジャーズは、

たくさん話をするとスッキリするから、

大切だと、ひとことも言っていない。

こんな風に言っている。

「カウンセラーに気持ちを聴いてもらっているうちに、クライエントは『自分の気持ちを聴く』ことを学ぶようになっていく。クライエントは『自分自身の内側への傾聴』をするようになっていく。このことが、クライエントの生き方、生きる姿勢、自分自身へのかかわり方の変化を引き起こしていく。カウンセリングの1番のポイント、傾聴することの意味はここにあるのだ」とロジャーズは言うのです。
(諸富祥彦著、本物の傾聴を学ぶより)

自分で自分の心の声を聞き、

自分の心を理解し、自分の心に

寄りそえるようになることこそ

傾聴の意味だと言っている。

聴くことがいいことか?悪いことか?

スッキリするか?しないか?ではなくて、

「何のために聴くか?」

目的が大事。

「聴いてあげるのは、吐き出させてホッとさせるため」

では浅すぎる。

それは、大きな目的のための手段に過ぎない。

たくさん話せることで、

それまで澱(おり)のように、

自分でも無意識にたまっていた

心の重しが軽くなる。

そして、

心の重しが軽くなることで、

本当の自分を解放しやすくなる。

その状態を「気づく」という。

そして、最終目標は、

私が聴いててあげなくても、

その人が、自分の心の声を聴き、

心の声に寄りそい、

他者がいなくても、自分でいられること。

でも、いきなり

「自分で自分心の声を聴きましょう」

といわれてもできない。

だから、聴き方と、

聴いてもらえるすばらしさを知るための

「疑似体験」として、

まず誰かから聴いてもらう必要があったりする。

聴く人の役割は、

「聴き方の疑似体験をしてもらうこと」。

「独り立ちできるまだ支えること」。

「聴いてあげたから、元気になった」

は小義。

「聴いてあげなくても、あの人は元気でいられる」

が大義。

・・・

そしてもう一つ。

聴こうとする人自身が、

自分の心の声を聴けなくて、

傾聴はできるのだろうか?

先ほどのロジャーズの言葉どおりが

傾聴だとしたら、出来るはずがない。

上の諸富先生の文章の「クライエント」の部分を、

カウンセラーまたは、あなた自身(私)に

置き換えてみれば分かる。

「私自身に気持ちを聴いてもらっているうちに、私は『自分の気持ちを聴く』ことを学ぶようになっていく。私は『自分自身の内側への傾聴』をするようになっていく。このことが、私の生き方、生きる姿勢、自分自身へのかかわり方の変化を引き起こしていく。1番のポイント、傾聴することの意味はここにあるのだ」

当たり前ですよね・・・。

自分にできないことを、

他人に伝えることは出来ない。

自分が良いと思っていないことの良さを、

他人に伝えることは出来ない。

「スッキリした」までの体験しかない人は、

「スッキリするよ」までしか伝えられない。

傾聴により自分に寄りそえている感覚を持てた人は、

人にも同じものを提供できる可能性が高まる。

傾聴を、

他人に対する話の聴き方の手法だと

思っているうちは、本当には聴けない。

聴いていると、ただ相手の話を聴いているだけのようでいて、

自分に出会ってしまう。

相手との関係性の中に映し出されてしまう。

聴きながらいつも、自分自身の心の声と向き合いながら

相手の話を聴くことになる。

そこをしっかり取り扱える人こそ聴き上手。

私が聴いてあげたら、相手がスッキリした、喜んだ。

そんなことは些細なこと。

私が何かをしてあげようが、してあげまいが、

その人が、その人らしく生きられていれば

それが一番の幸せ。

自分の心の声を聴けるようになれば、

他の人の心の声も聴きやすくなる。

相手に何かを提供しようと思っているうちは深く聴けない。

自分の心の声を深く聴き、寄りそえた分だけ、

相手の話にも深く寄りそえる。

それさえできれば、

スキルや知識はあとからいくらでも身につく。

スキルだけ知っていても傾聴にはならない。

「なんちゃって傾聴」

「傾聴風味」

にならないよう、自分の心の声をよく聴こう。

【この言葉を自分に言ってみよう!】

「どうせなら「●●風味」より、本物を目指そう」

「数の子風」の寿司も、

「カニ風味」のカニカマも決して悪くはない。

でも、

たくさんそれを食べても、

本物の良さは一生わからない。

<お知らせ>

ニセモノの聴き方と、

本物の聴き方を見極める方法は簡単。

ニセモノの聴き方をしていると、

聴くのが苦しくなり、

本物の聴き方をしていると

聴くのは嬉しくなります。

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