重い話を聴いていると、
「相手の話に巻き込まれてしまう」
「もらってしまう」
「もらいやすい性格」
「先の話を聴く前に、全部わかってしまう」
という人がいます。
表現の仕方はいろいろですが、
ひと言で言うと、相手の感情と
自分の感情が「癒着」して
境界線がなくなってしまう状態です。
「もらいやすい」かどうかというと、
もともと人と出会い会話をすれば、
みんな、すべての人が「もらっている」のです。
でも「もらった」ものが、
「しんどくなる」かどうかは別の話。
つまり、
「もらったもの」によって、
自分の日常よりも気持ちが
動きすぎたり、固まり過ぎたり、
冷えすぎたり、熱くなりすぎたり・・・
という風に、感情に大きく変化がある状態を
「もらった」と呼んでいるにすぎません。
つまり、もらうか、もらわないかは
相手の発した感情の強さや質の問題よりも、
それを受け取った、
私の心の問題ということです。
長い人生の中で形作られた
知識や経験の積み重ねよる
自分の心のフィルターの状態が
「他人ごと」をあかたも「私ごと」として、
感情的に勘違いして
受け取ってしまっているのです。
一般的に言えば
「感性が豊かな人」
と呼べるでしょうが、
「話を聴く」という視点から言うと、
「人と自分の境界線が、あいまいな人」
ということになります。
そういう、境界線があいまいな人の特徴は
たとえば、
自分の中で感情が動きにより、
いろいろな思いや情報が
経験の引き出しから引き出されてしまうので、
相手が話をしている最中でも、割り込んで
話したり、決めつけて、押し付けたくなる
「会話泥棒」になりやすいこと。
あと、
人の話を聴いている最中に、
動いてしまう自分の感情の方に
意識が向いてしまうため
「人の話はよく聞いていない」。
感覚的に「わかったつもり」になり、
本当に相手が伝えたいことよりも、
自分の感じたことの方が答えに違いないと
決めつけをしやすかったりします。
傾聴したいなら、これはマズイということです。
傾聴するということは、
お互いの存在を認めること。
「同じ」であることを認め合うのではなく、
「違う」ことを分かる(分かりあう)のです。
同じと思っては、相手の
本当の気持ちはわかりません。
「自分の感覚でわかる」
のではなく、
「相手の感覚をわかる」。
この2つの境界線をしっかり持てるよう
聴く練習をすると、巻き込まれもせず、
聴き易くなるでしょう。
・・・
もう一度確認すると、傾聴とは、
他人と「同じ」感情になるための
レッスンではありません。、
相手と自分は「違う」し「違っていい」ことを
お互いに分かりあうためのレッスンです。
つまり、共感して人の話を聴きたいなら、
「真剣に他人事として聴く」
ことです。
映画を見に行って、あたかも自分が
登場人物になってしまうような感覚ではなくて、
あくまで、客席から見ている。
それでも、興奮したり、驚いたりする
感覚は本物でしょう。
それに似ています。
客席から見ていることが
「いけない」とはなりません。
巻き込まれて、
同じになってしまえば「同感」。
「同じ気持ちになろうとするとしくじる」
これだけは知っておいてください。
傾聴で必要なのは共にいるけれども、
相手の存在も自分の存在もしっかりと
別のものとして理解し認める「共感」。
真剣な他人事として、
共感できるようになると、
聴くことが楽になり、
人間関係が楽になり、
聴き易くなっていきます。
【この言葉を自分に言ってみよう!】
「自分のことと、他人のことをしっかり分ける」
別人格であるはずの子どものことで
心配しすぎる親御さんというのは
この分けることが苦手だったりします。
「私は相手の気持ちがわかった!」
は、
「私は相手の気持ちが、わかったつもりになっている!」
というのと同じです。
「感覚だけで、分かったつもりにならない」。
大切なことです。
<お知らせ>
感じることは大事なことです。
でも、「感じた=相手の気持ちがわかった」ではありません。
相手の感じている世界を確認しながら、
理解していく。
相手の気持ちを知るための傾聴1日講座は、
11月8日、18日飯田橋。
11月23日、24日福岡(天神)で開催です。
↓
http://bit.ly/2qvtDuo