ささいな言葉

能力や力量不足以上に、勘違いしていることが原因で、

ものごとがうまく進まないということはないでしょうか?

子どもが成長する楽しみをひとことで言うと、

「出来ないことができるようになる」

ということでしょう。

・初めて、寝返りが打てた

・ハイハイを始めた

・初めてつかまり立ちをした

・支えなしに一歩を踏み出した

大人にとっては当たり前の小さな一歩を、

まるで宝くじに大当たりしたかのように・・・

いや、それ以上に、喜びます。

わがやの6歳の息子に対して

特に感じるのは、言葉の変化。

・・・

保育園に行く前にいつも自分の靴下を選ぶ息子。

子ども用の靴下というのは、

5足●円というように、デザインが同じで

色違いのものがアソートに入っていることが多い。

最近、ファッションにうるさくなった息子は、

いちいち靴下も靴もその日の

洋服に合わせて自分で選ぶ。

ませているといえばませているけれど、

その姿がまたかわいい。

ある日、保育園に向かう前の朝、

いつものように息子と靴下選びをしていた。

たくさんの中から、

一つを選んでから、息子はこういった。

「これにしておく!」

その言葉を聞いたとき、

一瞬驚いてギョッとした。

「どこでそんな言葉を覚えたのか???」

確か先週までは「これにする」と言っていた。

そこからさらにさかのぼって、

2、3年前までは、靴下を指さして

「これ」

しか言えなかった。

「これ」
 ↓
「これにする」
 ↓
「これにしておく」

成長にともない、たったひとつ、

靴下を選ぶときの言葉さえ、

年月によりものすごい変化があると感動した。

来年の今頃は、いったい

何と言っているのか期待してしまう。

・・・

私が傾聴できる人物像について、

信じて疑わないことがある。

それは、

「子ども成長を喜べる人であれば全員、特別な訓練をしなくても、傾聴ができる素質が十分ある」

ということ。

子供の成長を喜べる人は、

1の変化に気付ける人。

1の変化に気付き、さらに

喜びを感じられる人であれば、

その能力は傾聴にも通じる。

相手が大人であっても、

ささいな言葉の変化に表れる相手独自の

言葉の意味を聴きとり、

その価値を認めるのに役立つ。

ただ一つ、

子どもの成長と傾聴に違いがあるとすれば

子供の成長は、あるとき突然、子どもが

変化を見せつけてくれるのに対して

傾聴はあらかじめ意志をもって

ちゃんと聴こうとしながらその場にいる。

肩に力を入れず、その場に入るのが子育て。

肩に力を入れれ、その場にいるのが傾聴。

そういう違いがある。

本来、傾聴の素質がある人なのに、

上手に聴けなくなる最大の理由は

傾聴のスキル不足以上に、

「肩への力の入れ方」

に問題があるに違いない。

傾聴に対するおかしな思い込みが、

変な力を肩に入れてしまう。

具体的には、

「傾聴とは黙っていることだ」

「賛成できない話にも同意を示さなければいけない」

「自分の気持ちは押さこんで、相手の気持ちだけ受け止めればいい」

「誠実さ、まじめに聴いている姿勢を伝えよう」

そういう、傾聴に対する「美しい勘違い」が、

余計聴けない人を作っている。

傾聴には確かに、練習が必要だ。

でも、その前に声を大にして言いたいのは

子どもの成長を喜べるような人であれば、

「傾聴できる素質は、ほぼ全人が持っている」

こと。

子どもの、些細な言葉の変化を

聴きとれる人は誰でも

傾聴もできるということは知っておいて欲しい。

【この言葉を自分に言ってみよう!】

「聴くに対する思い込みをはずす」

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