自慢だけれども、私は通勤電車に乗ったとき、
「途中から座れる確率」
がかなり高い。
なんとなく「雰囲気」で、
「途中で降りそうな人」がわかるのだけれども、
途中でおりそうな人を見つけるために、
それなりの努力もしている。
・・・
まず電車に乗ったら、
できるだけ奥に入る。
入り口付近より、すいているから。
「誰の前に立つか?」
比較的選びやすい。
正面と右前、左前の3人をみて、
「途中でおりそうな雰囲気」
を醸し出している人が、
より多いところの前に立つ。
「醸し出す雰囲気」とはなにか???
いままで考えてみたことがなかったけれど、
今回初めて、何を判断基準にしているのか、
思い返してみた。
だいたい、以下のようなことが
私の中の基準になっていることが分かった。
・完全に寝込んでいない人(起きている人)
・視線が高めの人
・視線が周囲に動く人
・姿勢が比較的伸びている人
・荷物を探したり手元が動く人
・寝たふりをしているけれど、実は起きてそうな人
すべてに当てはまるわけではないし、
これらを総合的に判断してみている気がする。
「スマホをいじっている人は参考になるか?」
試みたことがあるけれど、
スマホのいじり具合には、
いまのところ、あまり
関係がないような気がしている。
要するに、
「つぎの駅で降りよう」
と考えている人がとりそうな
仕草をする人を探している。
混んでいる電車の中では、
立ち位置はさほど選べないし、
目の前には多くて3人しかいないので
全員途中で降りないときもある。
逆に、全員降りるときもある。
でもやはり、
目星をつけた人が、降りることが多い。
・・・
傾聴は言葉を大切にする。
でも、傾聴の目的は、
言葉を大切にすること自体ではない。
「人」を大切にすることが目的。
人を大切にしたいから、
発せられた言葉も大切に扱う。
人を大切にしたいので、
発することができない(できていない)言葉も
大切に扱う。
自分の想いを表す言葉にまだ
気付けずにいる人も大切にする。
大事なのは、言葉そのものよりも
言葉発するかもしれないその人の心がどうなっているか?
言葉の出方はそれをしる参考になる。
・・・
相手にたくさん話させることが
傾聴だと勘違いしている人が多い。
特に傾聴ボランティアなどは、
「たくさん話させよう」
と勘違いしている人は多い。
「寄りそう」ことを目的にしたボランティアが
「話させいよう」とするならば、
そのこと自体が暴力だと思っている。
【この言葉を自分に言ってみよう!】
「言葉を理解するのではなく、その言葉を発する(発しない)人を理解する」
補足しておくと、
私は電車の中では、実はあまり座りたくない。
どちらかと言えば、立っていたい方だ。
それでも、途中でおりそうな人を見つけては
必ずその人の前に立つ。
私の趣味である私にとって、それは
「人間観察ゲーム」
になっている。
・・・
電車の中を見回すと
みんな結構まじめな顔で
すまして見えるけれども、
頭の中をのぞいたら、
きっと、くだらないことを
たくさん考えているんだろうと思う。
人間観察は実に面白い。
<お知らせ>
傾聴力の中には、相手の反応を観る
観察力も含まれます。
観察力とはなにか?
それは「おっ!」と感じて、
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