いつもありがとうございます。
息子と30分卓球をしただけで筋肉痛になった、岩松正史です。
秘密話されると、親近感覚える。
あえて自分の秘密話すことは、
相手との心の距離を縮める
効果があることがわかっています。
一方、
書くのでも話すのでも、
「自己暴露する」という行為そのものが
「快感」を生み出すことも、
脳科学の実験でわかっています。
つまり、
話を聴いてもらう以前に、
「話すこと自体」
が快感であるというわけです。
心理学では、話をすることで
心が浄化される作用のことを
カタルシス効果と言います。
「浄化」と「快感」を同一に
扱っていいかどうかはわかりませんが、
話をする行為そのものが、
心にとっていよい影響を
与えることだけは間違いなさそうです。
・・・
ここで、思うところがありまして。
「話をたくさんすることは、確かに心をいやす効果がある」
これは間違いがありません。
では、
「話をたくさんすることは、心を癒やす効果があるから、とりあえず、たくさん話を吐き出させさえすればいい」
と言えるでしょうか?
私は違うと思います。
相手は喜ぶから、それだけすればいい
というのではあまりに短絡的でしょう。
相手の感じる効果とは別に
聴き役であるこちらはこちらの、
「聴く目的」
を決める必要があります。
一つには、先ほどのような
「ただ吐き出させるため」
という目的もありです。
でも、先日のBLOGにも書いたように
傾聴の祖C.ロジャーズは、
「吐き出させるだけでは物足りない」
ともいっています。
私もその意見に賛成です。
「何が正しいか?」
ではなく、
「自分は何を目指して聴くのか?」
の問題であります。
個人的に思うのは
せっかく吐き出してくれたものを、
そのままうなずき、あいづいちだけして
差し障りなくスルーするの
はもったいないなと。
そうではなくて、
せっかく吐き出してくれたものなら、
それをしっかり受け止めて、
積極的に支えたい。
そこで生まれ得る葛藤が
あるのも理解しています。
つまり
下手くそに関わるよりは、
それとなく受け止めて聴き流し、
カタルシスだけで満足してもらうのも
ありではないか?
という葛藤が出てくるでしょう。
それは、好みと自信の問題。
好きに聴けばいいでしょう。
でも、一つだけ
ハッキリしていることがあります。
ただ話してもらうだけでなく、
「相談相手になろう」
とする人なら
ぜったいに「関わる能力」
が必ず必要です。
積極的に受け止め、支え、
関わる能力がなければ相談には乗れません。
もし、相談相手になりたいのであれば、
関わる練習が必要です。
・・・
「練習する」ということは、
失敗を繰り返すということです。
カウンセリングの場合、
失敗すれば相手を傷つける危険もあります。
だから練習できる場として、
カウンセリングの学校が必要なのでしょう。
でも、
相手を傷つける以上に恐怖なのは、
「自分が傷つくことを恐れる心」
ではないでしょうか。
失敗した自分を責めるなら、
それは本番でも練習でも関係なく、
自分の中の悪魔くんは、
いつでも、何度でも、
失敗した自分を責めにきます。
その悪魔とどう付き合えるか?
結局、
聴くということを本気で突き詰めていくと
行きつくところは
「自分と自分との関係」
であり。
「自分の心をどう受け止めていくか」
自分とのコミュニケーション能力に落ち着きます。
だから、
自分と向き合いのが怖い人は、
人と向き合うのも怖い。
人の心の基本原則は、
とてもシンプルです。
【この言葉を自分に言ってみよう!】
「私はどれくらい深く、私と関わりたいのだろうか?」
そこにやりがいを感じられる人には、
傾聴は向いているし
そこをあきらめさえしなければ、
自分との関係がよくなった分だけ、
人との関係もよくなります。
他人事のように書いていますが、
それが、
私にとっての13年の傾聴の歴史であります。
自分を無視して、
人との関係はよくできません。
あなたは、どういう風に話を聴かれたいですか?
まずは、自分で自分が嬉しいように、
心の声を聴く練習をしてみては
いかがでしょうか?
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自分と相手の心をつなぐ
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