東京駅の丸の内口を出たところは
広いホールになっている。
その天井を見上げると、昔の面影漂う八角形の
綺麗なドーム型の天井になっている。
毎日その下を通って通勤をしている。
ホールにはJRの改札口がある。
駅の中からから改札に向かっていた時のこと。
前に60代の男性が歩いていた。
男性のあとに続いて、自動改札を出ようとした。
前の男性が「スイカ」を出してタッチをした瞬間、
「ピンポーン。チャージしてください」
音が鳴って、改札の扉が開かない。
男性がそこに立ち止まったので、私は男性をさっと避けて
もう一つ右の改札から、タッチして改札を出た。
スイカの残高不足・・・。
自分もなったことがある、よく見かける光景。
ところが、
私が改札を出るとき、そして出たあとも
「ピンポーン。チャージしてください」
が何度も聞こえる。
見ると先ほどの男性が、何度も残高不足の
スイカをタッチしているのが見えた。
男性は「チャージ」してくださいと言い終わると、
すぐに「タッチ」していた。
そのとき、もしやと想像がひらめいたい。
男性は「チャージしてください」を「タッチしてください」と
聞き間違えているのではないだろうか?
確かに「チャージ」と「タッチ」は違うものだけれど、
ちょっと似てなくもない。
真偽のほどは定かではないけれど、まだなり続く
「チャージしてください」の音を聞きながらもう一度だけ、
男性の方をいちべつして、自分の進むべき道を前に進んだ。
聞き間違うと対処法が変わる
言葉は似ていてもちょっと聞き間違うだけで
意味はまったく変わってしまいます。
たとえば次の文章を見てください。
A.「私は、睡眠時間は6時間は取ることにしています」
B.「私は、睡眠時間は6時間とるようにしています」
この2つの文章の微妙な意味の違いがわかるでしょうか?
前者「取ること」は、
6時間の睡眠について日課としてほぼ確定しています。
あるいは強い意志をうかがい知れます。
後者「取るように」は、
単なる心がけであると同時に、
時折例外が発生しているという意味がうかがい知れます。
たった2文字違うだけで、
その事柄にたいする意味や価値は変わるのです。
ざっくりと大まかに理解して
「要するに、6時間寝たいんでしょ」
と言ってしまえばそれまで。
でもザックリとした理解では、
人の気持ちをしっかりと理解することはできません。
「チャージ」を「タッチ」と聞き間違えると、
取るべき対応を間違ってしまうのと同じで、
「こと」と「よう」を聞き間違うだけで、
そのあと取るべき行動にずれが生じ
心の距離が広がっていってしまいます。
つまらないすれ違いや思い込みを防ぎたいなら
言葉の端々ににじみ出ているニュアンスこそ
聴きとってみる価値があります。
言葉は単に事象としての
事実をあらわしているだけでなく
微細な表現の中にその人独自の意味と価値が含まれています。
それを理解することこそ気持ちを理解するということです。
傾聴で聴く気持ちとは、に
「うれしい」とか「悲しい」
といった形容詞だけではなく
その人にとっての意味と価値を聴くことです。
形容詞以外の気持ちを聴きとり関われるようになると
相互理解が深まり、人間関係の質が変わります。
そこをおおざっぱにやっていると、
人間関係全体が雑なものになってしまいます。
これをお読みのあなたは、
微細な部分を聞き流してザックリと
状況だけを理解する聴き方になっていませんか?
もし人の気持ちを理解したいなら
微細な言葉づかいに注目してみてください。
聞こえ方が変われば、関わりたい方法も変わります。
【この言葉を自分に言ってみよう!】
「言葉の端々に耳を注目させてみよう」
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人の心を丁寧に聴く聴き方、傾聴
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諸富祥彦の傾聴のねっこ(動画)
※岩松の個人的な趣味です
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