不謹慎かもしれませんが、ときどき
悩めるというのは贅沢なことだと
感じるときがあります。
なぜなら、悩みとは、
何かを選べる状況にあるときだけ
持てるものだからです。
たとえば、
・食べるものがない
・戦争の真っただ中にいる
そのような命の心配を今まさに
しなければいけない状況のときは
生きることに必死で
悩むことはできないでしょう。
家があり、食事があり、
そして何より、命がある保証があるときにしか
悩みは持てないのではないか?
そんな気がして、ときどき
悩める自分が贅沢に思うときがあるのです。
そんな想いがわきあがった時
よく思い起こされるエピソードがあります。
ナチスドイツによりアウシュビッツの
収容所に収容された体験を記した
精神科医で心理学者の
ビクトール・フランクルの「夜と霧」です。
書籍と映画、両方見たことがありますが
細かい内容は憶えていなくても、
そこから感じる強烈な感覚は、
一度見たらきっと一生忘れられません。
もちろん、
命の危機にさらされている人も
悩んでいないわけではないかもしれません。
でも「悩む」というよりは、
恐怖とか、絶望とかそういう感情の方が先に立ち
悩む(=考える)というのはだいぶ
後の感覚なのではないでしょうか。
ときどき、夜と霧のことを思い出しては、
「いま自分が悩んでいることは、命という視点で見たときに、本当に大きなことなんだろうか・・・?」
そんな風にちょっと高い大局から自分を見てみると、
意外と小さいことで悩んでいることに気がついたりして、
大丈夫そうな気分になったりするから不思議です。
A.マズローの欲求の5段解説でいうなら
生理的欲求と、安全欲求が
満たされているときにしか、人は悩めない。
いま、生きるために必要な
根幹部分が保証されているから
悩めるとも言えなくもありません。
変な言い方になりますが、
悩みをなくす方法は簡単です。
家をなくし、食事を食べられない状況に
自分を追い込めば、
悩む余裕はなくなってしまいます。
「悩み=悪い物」とラベルを貼れば
いつでも自分をただ不幸なだけの
人間にすることができます。
でも、食事が食べられて、家があるからこそ
悩める余裕があると思えば、
「いま悩んでいることを人生そのもの大局から見るとそこまで深刻ではない。」
少し冷静で客観的な事実の気付きを
得ることができるかもしれません。
そこまで極端ではないにしても、
ただどっぷりと悩みに浸ってしまうのと、
「命をいますぐとられるわけではない」
と思いながら悩むのとでは
悩み方の質も変わっているに違いありません。
いかがでしょうか?
今これを読んでくださっているあなたは
「悩めるのは、自分にはまだ余裕があるからだ」
と思ったことはありますか?
なかなか思えないですよね。
でも、事実、今こうしてBLOGを読めているということは、
きっとあなたには家があり食事が
食べられるからだと思うのです。
日々生活できるのをありがたいと思え!
なんていうつもりは毛頭ありません。
ここでお伝えしたいのは、
悩みの深さを決めているのは、事の重大性よりも、
あくまで自分自身をどう見るか?
というセルフイメージだということです。
悩みに感謝などできなくても、
生きている事実をまずちゃんと評価できれば、
悩みの意味と価値が変わります。
もしよかったら、今度悩んだ時に、
「なぜいま悩んでいられるのか?」
考えて見はいかがでしょうか。
今ここに生きている自分がいるからこそだと
気付くかもしれません。
悩みは悪い物ではなくて、
悩みこそ自分らしい人生の一部なのですね。
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