週末の早朝、
大阪の街を歩いていたら、
向こうから2歳くらいの
男の子の手を引いて歩いてくる
お母さんがいた。
その母子の姿を見て、急に
目頭が熱くなるのを感じた。
私は「2歳くらいの子」が苦手だ。
・・・
いまから8年くらい前、
同世代の少し若いパパが
この世を去った。
遠くに住むパパ友の彼とは、
Facebookを使って、
ときどきやり取りしていた。
当時、30代前半だった
彼が逝ったのは、
私とFacebookのやりとりをした
翌日だった。
急性の心臓病らしい。
彼には2歳の息子がいた。
ちょうど、三輪車に
乗り始めた頃だった。
私とやりとして、
寝た翌日、
目が覚めなかった。
寝たまま逝った彼は、
自分が死んでしまったことに、
気づいているのだろうか?
子どもをこよなく
愛していた彼のことを思うと・・・。
そして、
まだパパを
ちゃんと認識できない、
きっとパパがいなくなった翌日も、
無邪気な笑顔を見せていただろう
男の子のことを思うと・・・。
同じ子供好きの父親として、
身につまされるものがある。
いま目の前から歩いてくる、
母に手を引かれた
2歳くらいの男の子の姿が、
友人である彼が
亡くなったあとの、家庭の姿に
かぶって見えたのかもしれない。
つぎの瞬間。
今度は、7歳になり、
とっくに2歳を通り過ぎた、
自分の息子の笑顔が
頭に浮かんできた。
幸い私の存在は息子には、
もうしっかりと認識され、
焼き付いているだろう。
そう思うと、安堵と
感謝の気持ちがわいてきた。
そしてまた、亡くなった
知人の無念さが、
再び、湧き上がってきた。
・・・
目の前で展開される
情景というものは、いつも
自分の過去の記憶と
感情を呼び起こさせる。
人に向き合うことは、つまり
自分の今と過去、両方に
向き合うことを意味する。
私はいつも、自分を見つめ、
そこから沸き出てきたものを
抱えながら、人と向き合おうとする。
すると、
自分を抱えられた分だけ、
人の悲しみも、苦労も、喜びも、
ある程度抱えられる感覚がある。
人と向き合うことは、
自分と向き合うこと。
自分と向き合いたくないなら、
人とも向き合わないほうが、
傷つかなくていいかもしれない。
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セラピストがとても人気らしいです。
それはきっと、潜在意識の中で、
自分と向き合おうと思う人が
増えているからではないでしょうか。
自分と向き合いながら
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