「あなたは誰より勝って(まさって)いますか?」
そう訊かれたら、何と答えるでしょうか?
ブログを毎日書いている私でありますが、
いつも自覚している事は、
「私は誰にも勝っていない」
という確信です。
文章が上手なわけでもないし
何か特別な情報を持っているわけでもない。
感動をより深く与えられるわけでもないし、
ものすごく見識が深まるわけでもない。
でもそれでいいかなと思っています。
昔はそうは思えなませんでした。
いつでも誰かに、1センチでも1ミリでも
勝ってなきゃいけない、
優れていないと自分の価値はないと
信じて疑いませんでしたた。
でも、足りない自分を抱えながら
それでもブログを書き始めてみて分かりました。
何も勝っていないはずのい私のところに
お客さんが来ることが。
きっと、もっと上手にやれば
もっとたくさん来るでしょう。
そういう方法の探求も
続けていこうとは思います。
でも、
だからと言って今の私がダメだと
言うことにはならないと言うことが、
よくわかった。
そういうとわざわざ、
「いえいえ、岩松さんは●●が勝っていますよ」
と、私の意見を善意で否定して
くれる人がいます。
でも、そんなことは頼んでいません。
私は今、
「勝っていなくても、価値がある」
と言っているのですから、
勝らせてもらう必要などないのです。
そういう、わざわざほめてくる人たちは、
きっとその人自身が、まだ
「勝らないと価値がない」
と信じている世界の住人なのでしょう。
そこから脱却できると
もっと楽になるということが
伝わればいいな願います。
最近、
講座に来る方の中に増えているのが、
もう何年前も前からブログを読んでいて、
ずっと来たかった。
やっと来れたと言ってくださる方です。
長い人だと5~6年もの間、
ずっと気にかけていてくれたという人もいます。
長い期間与点でくれている読者が
いい読者というわけではありませんが、
自分を発信さえし続けていれば、
何かに勝っていなくもて、
完成に会う人の心には、
何かが響くのでしょう。
もともとブログやメルマガは無料ですから、
嫌なら読まなくなれば良いだけです。
それでも読み続けるのには、
きっとその人なりの訳があるに違いありません。
自分の価値は自分が決めるのではなくて、
私を必要としてくれている人が勝手に決めます。
それはカウンセリングも同じです。
上手にカウンセリングができなかった
という思いは、昔よく起きました。
今でも上手にできている感覚は
正直、特に持ったことがありません。
昔よくあったのは、
うまくいったと思っていたら、
急に変な工法で終わってしまったり。
逆に、うまくいっていないと思っていたら。
急にいい形にまとまったり。
何が役に立っていて、
何が役に立っていないのか?
よくわからないことがあります。
ただ一つだけ確実なことは、
次回また来る(来た)と言う事は、
その人にとって来る意味と価値が
あるからに違いないということです。
そこは確信できます。
せっかく、その人にとって意味があるから
選んできているのに、
こちらが自信や手ごたえがないからといって、
その相手の気持ちを勘ぐったり
疑ったりしても仕方がありません。
素直に受け入れるのが良いでしょう。
もし、自分は何か足りないのではないか?
という自信のなさがあるならば、
それは、自分は勝っていなければいけないのではないか?
言い換えれるなら、
自分は勝っているべき人間なんだと言う
現実的ではないな不合理な信念、
あるいは別の言い方をすれば
「うぬぼれ」から沸いて出てくるのでしょう。
「自信がない」という人は、
別の見方をすると
「うぬぼれている」とも言えます。
私は誰にも勝っていません。
でも勝ってなくても、
大いに価値があります。
そう認めてしまえば、
肩に力を入れて、
自己否定心があら何かに
取り組む必要はなくなります。
実力はあってもいいですが、
実力があれば自信がつくという
ものではありません。
実力がない自分でも大丈夫。
勝っていない自分でもOKと思えたら
それはもう自信です。
いかがでしょうか?
これをお読みいただているあなたは、
誰かに劣っていると感じて、
自分の価値がまだ低いと感じていますか?
勝らなくても役に立っているのですから、
その事実から認めてみてはいかがでしょうか?
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