見えていてもわからないのが当然

いつもありがとうございます。

50ccの原付バイクで神奈川~長野を往復したことがある、岩松正史です。

・・・

バイク通勤をしていると、
いつも気になることがある。

ある場所を通る時、
道路のアスファルトに
大きなくぼみ(凹)がある。

「なんでくぼみ?」

そこを避けながら通っていく。

あるとき、普段いかない街まで
バイクに乗って出かけたときのこと。

初めて通る道を走っていると、
バス停の目の前を通った。

そのときあることに気がついた。

なぜかバス停の前の道路だけ
黒いアスファルトではなく、
硬いコンクリートになっていた。

「なんでだろう???」

と思った瞬間、
いつもの通勤路にある
アスファルトのくぼみ思い出した。

あのくぼみがある場所・・・。

あそこも「バス停」の前だったと。

バス停の前だけコンクリートに
なっている理由がわかった気がした。

同じ場所に何度も重いバスが停まるので、
決まった場所だけ道路が沈んでしまうのだと。

ネットで調べたら、
やはりそうだった。

・・・

毎日、何気なく暮らしている中にも、
ちゃんと訳がある。

でも人には、見えていても
いちいちその意味を考えなかったり、
見えていても気づかないこと、
疑問に思わないことがたくさんある。

そう・・・。

「見えている」あるいは「目の前にある」ことと
「理解している」ことはまったく関係がない。

・・・

よくこんなことを言っている人がいる。

「おまえ、そんなの当たり前だろ!」
「目の前にあるんだから、見ればわかるだろ!」
「ちょっと考えればわかるだろ!」

でも、それは脳には無理。

脳は自分が意識できたものしか、
認識することもできないし、
気づくこともできない。

毎日通勤で、くぼみの前を通っていても
それだけみてバスとの関係があるとは
まったく思いつかない。

また、

今までも人生の中にも、
道路がコンクリートだった個所があったはずなのに
それがどこにあったか思い出すことも出来ない。

でもきっと、道路がコンクリートになっている理由を
知っている人は前からずっと知っているだろう。

その人にとってはきっと、
当たり前のこととして意識出来ているに違いない。

・・・

確かに人は、一度意識出来れば同じ失敗はしなくなる。

もう私は、道路のくぼみを見て悩むこともないし、
コンクリートの道路をみれば、
その意味をすぐに察することができるだろう。

でも、自分が簡単に気づいたことを
他人も簡単に気づくはずだと思った大間違い。

私は10年間、道路のくぼみの前を
毎日通っていても理由は全く分からなかった。

外から別の知識や刺激が必要。

それに他人は自分とは違う。

「気づけ!」とか「意識しろ!」というのは、
理解し終わってしまった人だけの理屈。

まだ気づけずにいる人には、何の効果も持たない。

ならば、

気づかないのが当たり前と思っていた方が
無駄な人間関係のストレスを抱えなくてよくなるはず。

見えててもわからない。

それが当然。

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