「怒る」は「起こる」

6歳の息子が、テレビゲーム負けて怒っている。

泣き叫んでいる。

泣き声はうるさいが、

しばらくそのまま放っておいた。

よほど悔しかったようで、

しばらくたっても泣き止まない。

「うるさいから、泣きたいならあっちの部屋いって泣いて」

と、寝室の方を指さした。

それでも、泣き止まない。

「この部屋にいるなら静かにしてくれるかなぁ。テレビの音が聞こえないんだけど」

「泣き止んでここにいるのと、あっちの部屋で泣き続けるのどっちがいい?」

閉じた質問で選択させた。

息子は、寝室で泣き続ける道を選んだ。

・・・

こんな時は間違っても、

「君は、ゲームに負けて悔しかったんだね」

なんて、傾聴ヅラはしない。

なぜか?

「息子には怒る自由があるから」

受け止めるふりをすることで、

相手を静かにさせようとするなら、

それ自体が親切な仮面をかぶった

コントロールに過ぎない。

怒る自由を認めるとは、

感情のワードのくり返しをすることではない。

そのままの状態を許容することだろう。

(言い方を変えれば、放置と呼んでもいいかも)

息子には、怒る自由があり、

私には、うるさいと感じる自由がある。

・・・

親は自分の都合でよく怒る。

でも残念ながら子供はその時には、

「怒りたいならひとりであっちの部屋にいって怒ってて」

とはいえない。

ある意味これは不公平な気もする。

それはともかく・・・。

怒る自由を認めない人は、やめさせようとする。

怒る自由を認める人は見守る。

もし自分も自由に怒りたいと思うなら、

他人が怒る自由も認めないといけない。

自分が自由であるためには、

他人の自由を認める必要がある。

私は息子が怒ること自体を止めたいとは思わない。

ただ、テレビを見たいので、

怒るなら別の場所でして欲しいと願った。

・・・

怒るのを止めようとするとき、

そこには裏のメッセージとして、

「あなたには、怒る自由はない」

が含まれている。

自分が怒りたいときは怒ればいい。

相手が怒りたいときは怒らせておければいい。

人には、怒るという自由がある。

でも、うるさいと思ったら怒るのも自由。

「ゲームして泣くなら、もうやらせないよ。あっちの部屋言って泣いてて」

なんて、まったくアサーティブではない。

言い方をもうちょっとマシに気をつけられれば、

ベストかもしれない。

でも自分が怒っているときに、

そんな丁寧な言い方だ出来るだろうか?

出来る人はやればいい。

でも、冷静でいようとすることは、

怒っている自分を押さえようと

しているのではないか?

「優しく接する」

という正しい親を演じながら、

怒る自分を否定していないか?

怒りをため込めば、どこかで爆発するだけ。

だったら初めからやめた方がいい。

怒りたいときは怒ればいい。

その時、怒るときの言い方ではなく、

怒ったあとの思い方のほうを

気を付けてみたらどうだろう。

・子どもが怒らせた→私が怒りたかった

・うるさいと感じる自由がある

・ゲームをして泣く息子の姿を見たときに、ゲームを買い与えてしまった自分を後悔したのかもしれない

子どもを叱ることで、自分の中の後悔を

消そうとしたかったのではないか?

そんな風に自分に問いかけてみるといい。

たいてい、怒りたくなるときは心当たりがあるもの。

自分の責任で怒ったと思えば、

子に対して悪い感情を引きずり続けることは減る。

・・・

でも、そんなことを言われても

引きずりやすいという人は、

なおさら、子どもの行為にではなく

自分の内面に引きづりたくなる理由が

あると思えば間違いない。

子どもにとる態度は、

自分にとっている態度と同じ。

・自分に優しい人は、子供にやさしくなる

・自分に怒っている人は、子供に怒る

・自分を虐待している人は、子供の虐待するかもしれない

自分への態度が、別の誰かに

投影されて表現される。

・・・

個人的な感覚で言うと

怒るということは

「悪いこと」ではなくて、

「当然起こり得ること」

という感覚しかない。

当然起こり得ることを責めても仕方ない。

では、なぜ怒り続けるとよくないかというと

人の為ではなく、自分の為。

(実際、怒っているときには怒りホルモンが分泌され自分を傷つける)

結果的に自分が傷ついている。

一瞬ならいいけれど、長引くと

しんどくなるのは自分。

怒りながら笑顔を作れる人はいない。

そして笑顔を作れずに

損をするのも自分。

それがもったいないと思うなら、

怒りだけでなくすべての感情を

もつ自由を自分に認めよう。

すると結果的に、他人に対しても

あとに引きづりにくくなるから不思議。

・・・

例えばこれをお読みの方の中で、

(物心ついた)子供が泣いて

イライラするという人がいるかもしれない。

その子が、直接こちらに何かを

求めながら泣いているなら

放っておくことはできない。

でも、あなた自身にではない、

別の何かに対して怒っているなら、

あえて声をかけずに、

放っておいてくという選択肢も

持っておくのをおすすめしたい。

なんでも、声をかければいいというものではない。

放っておいてあげることこそが、怒る自由を認め

存在を認めることになるときもある。

【この言葉を自分に言ってみよう!】

「怒る自由を認める」

人間関係を保つ、一つの秘訣です。

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