聴き上手は、伝え上手(前編)

傾聴講座のワークの中に

「お互いに違いを分かりあう」

というものがあります。

最近はありませんが、

これをやるというと昔よく

「それはおかしい」

と、いわれました。

何がおかしいのかというと、

「なぜ聴いててあげたいだけなのに、こちらを伝える必要があるのか?」

という意見です。

なるほど・・・。

その人はきっと聴くことを勘違いしているか、

あるいは無意識のうちに自分の立場を上におき、

上から目線でサービスしてあげてる気分なのでしょう。

「何のために聴くのか?」

もう一度よく考えてみましょう。

少なくても私は、

「相手の支えになるため」

あるいはそこまで重くなくても、

「コミュニケーションをとるため」

に聴いています。

目的は人それぞれですから、

全員が賛成できる話かどうかは別として、

私が大切にしている傾聴はそういうものです。

もし、コミュニケーションをとるということであれば、

それは、

「お互いが分かりあう」

と、いうことです。

自分のことは隠して、

相手のことだけわかりたい

(=わかったと思える自分になりたい)

なんて保守的すぎるでしょう。

また、

相手のことが分かったかどうかは、

聴き手の心の中で

「そうなんだこの人。わかったわかった」

と、うちに留めて思うだけなら自己満足でしょう。

こちらが分かったことが相手にも伝わり、

共通の認識として

「お互いに分かり合えている感覚」

がなければ、

これもひとりよがりなことで

コミュニケーションにはなりません。

しかし実際のところ、

意識的、無意識的かは別として、

相手の心理を分析的に理解して、

自分だけ分かりたい(つもりになりたい)。

あるいは、

聴いてあげて、いいことをしているという

気分に浸りたいという人は多いようです。

表面上の言葉はやり取りして見えても、

内面が一方通行ではいけませんね。

傾聴の祖C.ロジャーズも著書の中で、

共感とは、

「相手が感じている世界を感じ取ろうと”やり取りする”こと」

とも言っています。

つまりわかりあおうとするプロセスまで全部含めて

「わかる」ことだというのです。

私はこの表現がピッタリきます。

人は自己満足を認める代わりに、

「人のため」という言葉を使うのが好きだったりしますね。

なので私は「誰かのために」という言葉を聞くと

「ウソ!自分のためでしょ!」

といつも心の中で反論しているのであります。

・・・

今回は長文なので、つづきは明日お伝えします。

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