きょうは久しぶりに自分の中に
イヤなものを見つけてしまった…
というお話です。
正月に姪っ子と河原で
石ひろいをして遊んでいた時のこと。
姪は3歳なので、
言っていることもの意味が
よくわからない言葉を何度もくり返したりします。
でも、
内容よりも一生懸命話しかけてくれるのがうれしくて、
ただただちゃんと話を聞いていたのでした。
たまにしか会えない親戚と過ごす時間は
とても楽しく過ぎていったのですがあとになって、
あのときの姪っ子との会話が
どうも気になりまして…。
「なんで姪っ子の話はしっかり聞けるのに、
自分のの子供の話は途中で遮って
最後まで聞けないのだろうか?」
と、いう疑問がわいてきたのです。
自宅に帰ってきてからも
ずっとそのことを考えておりまして。
とりあえず行きついた答えは、
あまりハッピーなものとは言えませんでした。
・・・
まず、
自分の子供の話は
最期までちゃんと聞けない理由のほう。
それは私の場合は、
子どもを
「自分自身と同じもの」
だと考えているからだと気づきました。
頭の理屈では別の人格だとわかっているつもりでも
意識の奥の奥ではやはり
「子供=自分」
という価値観が
根を下ろしている確信をしました。
自分と同じと思っているからこそ、
自分の価値観と違うことを言ったり
やったりするのが許せないのです。
だから話を聞かずに遮るのです。
ところが、
姪っ子に対してはどうかというと、
これもまたイヤな気付きではありますが、
姪っ子は可愛いと思いつつも
心のどこかではあきあらかに
「別のもの」
もっと直接的な表現をすると…
「関係ないもの」
と思っている自分がいたわけです。
別のものなので、
自分の価値観と違うことをしても、
受け入れることができるのです。
そのことに気づいてしまった瞬間、
かなりガッカリしました。
私は親切で優しいおじさんではなかったんですね(涙)。
自分の子供の命は自分の命と同じですから、
それだけ必死とも言えますし、
姪っ子は可愛くてもやはり
他人なので感情的になる必要がないのでありました。
もちろん、
何か大事があれば自分の子も姪っ子も
同じように守りますが、
そういう行動の問題ではく、
あくまで心の奥にある意識の問題としてです。
もし、
これをお読みの人の中に、
家族の話が聞きにくいと感じる人がいるなら、
もしかしたら私と同様に、
家族に対して自分と同じでなければならない
と、いう意識があるのかもしれません。
他人の話を冷静に聞けるのは、
素晴らしいと思われがちですが、
別の面では、心の狭さ冷たさの
表れなのかもしれませんね・・・。
・・・
ほほえましく姪っ子の話を
聞いていたつもりが、
実は実の子ほどは大切に思えていなかったから
聴けていただけだなんて…。
こういう気付きは痛い反面、
大切だとも思うのです。
よい部分だけでなく、
悪い自分、いやしい自分も
ちゃんと分かってあげていることで、
人間関係をかえりみることができるのですから。
嫌な面から目をそらして、
失敗した経験がいままでたくさんあるので、
ここはちょっと辛抱であります。
「他人に対して自分や家族に対してほどは、
親身になれていない自分がいる」
「家族は自分と同じであるべきだという思い込みがある」
と、認めてしまえば、
その先どうすればいいかが見えてくるでしょう。
自分のよからぬものを直視できると、
他人によからぬものをも見た時に
その事実も受け止めららえると思うので
それでいいのかなと思うのですが
いかがでしょうか?
【この言葉を自分に言って見よう!】
「私の中には、きれいなものだけでなく、
汚いものもたくさんある。でもそれでいい。」
自分との関係がよくなると、
他人との関係がよくなる。
それを信じているので、
自分の欠点も認めようと思うのでありました。
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