娘は素直で正直なところが、まるで自分を見ているかのようでかわいい。
どちらもあまりにも愛しすぎる子供であることに変わりはない。
それぞれ一人ずつと関わっているときは特に問題もないが、このふたりが同じ場所に集まると化学反応がよくおきる。
正確には、化学反応というより
拒否反応。
弟は自由奔放で、お姉ちゃんはそんな自由奔放な弟が大キライ。
だから、お姉ちゃんはいつも弟に不満。
・・・
先日、終日の研修の仕事を終えて帰宅したらいつもよりちょっと早く帰宅した父に喜んだ娘が遊びたいというので、たまにはということでいっしょに布団にもぐってトンネルごっこをして遊んでいた。
そこに息子(弟)がやってきた。
せっかくお父さんと二人で遊んでいるのを邪魔をされ、気に入らない娘が「あっちいけ!」といった瞬間に出した手が弟の目にぶつかった。
弟が大声で泣き出した。
私は手がぶつかる現場を見ていたので、
「小さい子に手を出したら危ないだろう!」
と強く注意をした。
それに不服そうな娘。
(だいたいいつもこうやって、短い楽しい遊びの時間は終わってゆく・・・)
そんなことを思いながら目の前の現実にもどるとまだ
泣きまくる息子。
ふてくされる娘。
ふてくされる娘。
疲れて家に帰ってきたから休まりたいのに、この手のトラブルで落ち着ける場がなくなることにいつも不満の私は、この状況で
「君はそう思ったんだね」
なんて傾聴っぽいことをしようとは思わない。
「勘弁してくれよ。疲れて帰ってきて、いつもこれじゃ、やになっちゃうよ!」と愚痴をこぼす。
語気も自然と強くなる。
以前は、
傾聴の講師であるにもかかわらず、こんな風に本音が出てしまう自分はダメだと思っていた。
でも今は思わない。
ちゃんとできない自分との折り合いがついた。
私は傾聴の講師である前に、ただの人。
それに、
傾聴するために家に帰っているのではない。
腹からそう思えるようになったら不思議と、次の日にイヤな感情を引きずらなくなった。
いつまでもネチネチ文句を言うことも減った。
結果的に、トータルで見ると怒っている時間が減った。
そんな自分に、どこか満足している。
当然、息子や娘に怒る回数も時間も減った。
怒る自分を許したら、結果的に怒ることが減ったから面白い。
そして朝になったら、穏やかな気持ちで子供に「おはよう」と、なんのわだかまりもなくいえる。
相手がどう思うかはしらない。
でもいまの関係が、最良でないとしても心地はいい。
・・・
人は自分をきっと見るように他人を見る。
自分にダメ出しをする人は、他人にダメだしをしたくなる。
もし誰かに怒りたくないなら、まず自分に対して怒らない。
誰かを愛したいなら、まず自分を愛する。
ほかにできることなどあるのだろうか?
「愛する」の中身の多くはたぶん、できない自分を受け入れることだと思う。
好きな言葉がある。
人間に必要なものは、
不完全性の自覚からにじみ出る謙虚さ
(芳村思風)
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