きのう傾聴の学校の夜間講座開催後、
受講者の方と行きつけスペインバルに行った。
そして今月初めての来店。
残念なことに、
接客上手でお気に入りだった
この店の男性店員さんが
先月でお店をやめてしまい、
その後の様子伺いの意味もあった。
お店には見慣れない新しい男性店員さんと
私と同い年の店長が二人で働いていた。
比べるのは申し訳ないが、
お気に入りだった店員さんより
気が利かないしユーモアもないのが目についてしまう。
お客さんが帰るときになると、
お気に入りだった男性店員さんなら
客を選ばず全員に、
店の外まで必ず手を振って
お見送りしてくれたものだが、
新しい店員さんはその様子はない。
あわてて厨房にいた店長さんが、
お見送りに出ていく様子を見ながら
店長に少し同情した。
そして
厨房に戻ってきて少し仕事が
落ち着いたのを見計らって、
店長に声をかけてみた。
私「前の男性店員さんがいなくなった大変ですね。」
すると、店長から意外な答えが返ってきた。
店長「いたらいたで、大変だったんですよ。」
そして店長は続けた。
店長「結局僕は、いつでも大変です(苦笑)」
その言葉を聞いてはじめて、
いろいろ苦労があったんだろうとわかり
言い方が適当でなかったと少し反省をした。
・・・
そういえば、
まったく同じ出来事が過去にも
あったのを思い出した。
丸の内にある行きつけの和食屋に行ったとき、
やはり接客上手の店員さんがいなくなっていた。
女性店長に
「あの丁寧な男性定員さんいなくなっちゃったんですか?」
と訊いたら即答で
「丁寧でしたか!???」
と、ちょっと不機嫌な返事が返ってきた。
毎日一緒に仕事をしている人同士で見えている世界と、
お客として時々来るだけでは、
見えている世界がまったくちがうのは当たり前。
でも、
裏で何があるのかなんて
察しきることなどできるはずもない。
最近はよく、
「あんなにおとなしく見える子がなぜ・・・」
という事件も多いが、
外の人間から見えていた姿が、
本当のその人についていったい
何パーセント表しているのだろうか?
おそらく0・1%も
見えていないのではないだろうか?
ここからの学びは、
「人を見かけで判断してはいけない」
ともいえるが、
結局、外から見て判断するしか方法がないのだから、
こう思ったほうが良い気がする。
「私は理解しているつもりのことについて、本当は1%もわかっていないはずだ。」
と思おう。
すると、
そう思わなかった時よりは少し理解が深まるに違いない。
【この言葉を自分に言ってみよう!】
「何かについて理解できていないことよりも、何がわかっていないのかが、わからないことのほうが問題だ。」
人を知るには、まず自分を疑ってみる必要がある。
そのためにはまず、
自分を疑いたくない自分がいる事実を認めてみよう。
おしらせ
何をわかっていて、何をわかっていないのか?
わかっていないことをわかりあう
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