同じ失敗をくり返すワケ

ちょっとキタナイ話で恐縮ですが、

5歳の息子が立て続けにウィルス性の

胃腸炎にかかって、4回嘔吐しまして。

治ったら吐く。

治ったまたをくり返して、

結局、一か月間で4回胃腸炎に

かかったのでした。

風邪でも胃腸炎でも、上の娘のときは

一度治ったら、同じ病気に続けて

かかることななかったので、

二人目の子供とはいえ、

子育ての経験はいつも新しい出来事の連続。

本当に一期一会。

二つとして同じものはないと実感しています。

・・・

そんな息子を見ていて

「感心」・・・とうか、なかば

「あきれて」います。

何にあきれるかといいますと、

こちらもお医者さんの指示通りにして、

嘔吐後数日は消化のいい

白米やうどんしかあげず、

生ものや油物は控えて

与えるようにしているわけです。

「(そういう物)食べると、また吐いちゃうからね。」

と、話せばわかるようになってきた息子に

言い聞かせています。

でも結局、

何回嘔吐して苦しんでも、

嘔吐が止まった翌日には決まって

「アイス食べたぁい。」

「天ぷら食べたぁい。」

「焼き肉食べたぁい。」

と、悪びれる様子もなく言ってくるのです。

そして、

何か食べた3分後にはまた

「お腹すいたぁ。おやつ食べたぁい」・・・と(汗)。

一か月間、妻と交代で仕事を休んで看病

(といっても家にいるだけですが)

してるこちらの苦労などお構いなし。

「ちょっと学習してくれないかな?」

思いながら、一生懸命何度も話をして

食べないように「説得」したのでした。

そのかいもあって、

梅雨も明け、ようやく落ち着いてくれました。

(まだちょっと、再来を疑っていますが)

そんな病気の面では上の娘より

何倍も手がかかる息子でありますが、

自由気ままさに困惑すると同時に、

見ていてうらやましい気もするのです。

・・・

人は成長するにしたがって

同じ失敗をくり返さないように学習をしますね。

息子も今はまだ無理でも、

これからきっと学習していくことでしょう。

なぜ人間は学習できるかというと、

本能的に、失敗をくり返すほど、

命の危険が増えることが

遺伝子に叩き込まれているからです。

「失敗をすれば死ぬ」

という学習の結果、遺伝子に刻み込まれた記憶は、

人類が誕生して以来、我々に与えられた

最高の財産であります。

だから長生きするためにも、

学習することは大切です。

でも学習する大切さの裏側で、

行き過ぎた学習は次のような弊害も

起こしてしまったりすることがあります。

・学習の成果を拡大解釈しすぎて、心配しなくていいことまで取り越し苦労してしまう。

・失敗した時と同じ行動をしても、つぎは同じ悪い結果になるとは限らないのに再挑戦を控えてしまう。

・失敗を恐れるあまり行動できなくなり、失敗と同時に得ていた成功(成長)まで失ってしまう。

・死にはしない程度の失敗も恐れて、挑戦できないクセがつく。

など。

かくいう私自身振り返ってみても、

失敗を恐れるがあまり、やらずにいること、

やらなくなってしまったことは多々あります。

別にやらなくて気にもならないなら

どうでもいいことなのでしょう。

でも、意外と忘れることなく

心のどこかにとげのように刺さっていて

たまにチクチク痛んだりすることってありませんか?

・やれば喜びが増える。あるいは欲求が満たされるかもしれないけれど、失敗もする可能性がある人生を選ぶか?

・やらずに、喜びもないけれど失敗や落胆も少ないもない人生を選ぶか?

それは、その人の人生観でありますが、

自分の子に限らず、子供を全体的に見て思うのは、

小さい子ほど前者を選ぶように見えます。

そして、

子供、大人問わず、喜びを求める人生を追い求める人ほど、

喜怒哀楽が豊かで笑顔が多いように見えます。

そんな生まれたままの本能に近い

自由な子供のを見ながら思うのは、

もし人が生まれて死ぬまでの人生の目的がもともと、

「より苦労や悲しみが少ないこと」

ならば、

きっと苦労や悲しみが少なければ少ないほど、

どんどん笑顔が増えるはずなのに、

実際はそうはなっていないな・・・と。

人は行き過ぎて学習してしまうと、

笑顔が減る生き物ですね。

ちょっと極端の名話ですが、

それはなぜだろうと考えてみると、

どんなに失敗や苦労を避けよう(減らそう)としてみても、

結局、人間、最後は最も大きな苦労・・・というか、

「恐怖である死」からは

逃げられないからではないでしょうか。

「失敗しないで生きる=死なないように生きる」

ことですが、

いくら長生きしようとしても、

最後、死んで終わることから逃げることはできません。

ですから大げさに言うと、

失敗しても喜びや満足感を得るために何度も挑戦する人は、

死を意識した有限の中で

よりよく生きようとしているともいえますし、

逆に、失敗を極端に避けようとする人は、

死ぬ現実を受け入れられないとも言えなくありません。

どちらが正しい姿というのもありませんが、

私のようには考えすぎないわが子の

純粋な姿を見ていて思ったのは、

本能はいつか必ず死で終わることを知っているからこそ、

今を十分に満足させる方向に動こうとする。

そこは疑いないのでありました。

「将来を心配する親、今を認めてほしい子供」

とよく言いますが、

言いかえると、

「死を恐れる親。死ぬまで楽しもうとする子供」

といえるのかもしれませんね。

【この言葉を自分に言ってみよう!】

「喜びを増やすために生きるか?不安を減らすために生きるか?」

選ぶのは自分であります。

さて、今日も食べすぎようとする息子を

愛をもって全力で制止しましょう(笑)!

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